障害者アスリート~越えてきた壁の数だけ強くなれた

2017年7月14日

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 最初に声を掛けてくれた「アシルスフィーダ北海道AFC」のボランティアスタッフは、知り合いのテコンドー関係者から、「パラテコンドーの競技人口が少ない」ことを聞いていたため、たまたま伊藤に声を掛けたという背景があったようだ。

 その話を受けた伊藤も「面白そうだ」と軽く考えた。その「たまたま」と「軽く」がタイミングよく合ったのである。

 しかし、テコンドーを始めようにも北海道には練習場がなかったので、いきなりNTC(味の素ナショナルトレーニングセンター)で行われた合宿に呼び出された。

 「合宿では基本中の基本から教わったのですが、最初に蹴られたときは、防具を通して内臓に衝撃がくる感じでとにかく痛くて、息ができなくて、うずくまるだけでした。防具を付けているから痛くありませんよ~、なんて言う人もいますが、そんなことは絶対にありません。痛いものは痛いですよ(笑)。でも、楽しいと思えました。もし、あの痛みが嫌だったら合宿から逃げ出していたと思います」

(提供:全日本テコンドー協会)

競技を始めて3カ月、いきなり世界一と対決

 北海道に帰るとさっそくミットを購入し、奥さんにそれを持ってもらって伊藤が蹴った。奥さんも「私も蹴る!」と盛り上がり、二人三脚の練習が始まった。また、当時は仕事に戻っていなかったため、週4、5回はフットサルに通って体力アップを図り、練習の合間に体育館のマットを蹴った。

 伊藤が初めて国際大会に出場したのはその3カ月後の「アジアパラテコンドーオープン選手権大会」である。結果は初戦敗退。

 伊藤はこう振り返る。

 「日本代表という肩書で出場したのですが、僕でいいのかなと思う反面、日本代表として出してもらえるなら、良い経験になると思いました」

 「この新参者の対戦相手は同じクラスで世界1位の選手でした。試合前はトップの選手がどれくらい強いのか、とても楽しみでしたし、試合後は、一番上のレベルが感覚的にわかったことが収穫だったと思えました。練習環境をしっかり整えれば追いつけないレベルではないし、超えられない壁ではない、と感じられたのです。僕の目標は2020年東京大会で金メダルを取ることですから、4年間掛けてそのレベルを超えればいいんです。テコンドーを始めてたった3カ月でしたが、一番良い経験をさせてもらったと思っています」

 しかし、たとえ負けた相手が世界一であろうとも悔しかった。

 その負けが伊藤を本気にさせた。

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