ある成年後見人の手記

2017年8月7日

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松尾康憲 (まつお・やすのり)

ジャーナリスト

1953年生まれ。76年共同通信社入社。87年から2004年まで北京特派員、上海支局長、ハノイ支局長を歴任。現在は放送報道局委員。著書に『現代ベトナム入門 ドイモイが国を変えた』(日中出版)、共訳書に『中国の禁書』(新潮選書)、『性愛の中国史』(徳間書店) 

若き日の松尾由利子(撮影日・場所は不明。)

 尾道の家は印刷業を営んでいた。祖父が跡取りにと、神戸から由利子夫婦を呼び寄せていた。当時は都会と地方の生活差が大きく、朝食に紅茶とトーストを味わう夫婦はとてもハイカラに見えた。

 ところが、私が小学校1年か2年のとき、祖父と息子は家業の経営をめぐりいさかいを繰り返し決裂。由利子夫婦は神戸に舞い戻ることになった。その経緯は、私が子供だったため詳しくない。私は寂しくなった。

 少年期から思春期を迎え、私には、小さな町を出たくて出たくてたまらない思いが募っていく。18歳で神戸の公立大学に入り、日本育英会奨学金(当時)月1万2000円と新聞配達や家庭教師で自活して学生生活を送った。

 十数年ぶりに再会を果たした由利子夫婦に、大きな経済負担を掛けた覚えはない。だが保険外交員の由利子は、食事に招いたり、小遣いをくれたりした。義理の仲なのに嫌な顔もせず。多感な青年期にどれほど心温められ、孤独を癒されたか……。

 だから、今できる力がある以上は、独りにしておけない。

 義理の伯母である松尾由利子を実名で書いていくのは、彼女を巡る事態の推移が決して絵空事でなく確固たる現実であり、誰の身にも起きかねないことを分かっていただきたいからである。善良なる市民として勤労して過ごした末の最晩年に、認知症を患うのは恥でも何でもない。自らの軌跡の公表が、成年後見制度などの改善にたとえ一歩でも寄与するなら、伯母は本望であろうと確信する。

信じられないごみ屋敷

 09年2月12日、再び見舞う。高田が由利子の車いすを押し、その自宅の神戸の某市営住宅を女性民生委員と私を含め4人で赴いた。

 5年ぶりになろうか、3号棟415号室のドアを開けると、部屋の中は衣類、雑貨、ごみが散乱、足の踏み場もなく、土足で上がった。電気は切れている。あの几帳面だった由利子の部屋がこれ!

 倒れる前から認知症が始まっていたのか? 呆然とし「電話しても連絡がつかなくなっていた」とつぶやくと、民生委員が「そうですよ。出歩くのが好きで、家は寝るだけの場になっていた」。

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