2024年4月25日(木)

赤坂英一の野球丸

2017年7月26日

 山口はもともと心臓の強いほうではない。2005年の高校生ドラフト1位で横浜に入団した当初は、打者を怖がって四球で歩かせ、走者を溜めてストライクを取りにいき、長打を浴びて試合を壊してしまうパターンが多かった。そうした中、成長するきっかけをつかませてくれたのが、当時の田代富雄二軍監督(現巨人二軍打撃コーチ)である。まだ横浜(現DeNA)に在籍していた2013年、山口は私のインタビューにこう答えている。

あんなに怖い思いをしたのはプロに入って初めて

 「3年目(07年)でしたかね、二軍の日本ハム戦で3回までに10点以上も取られちゃって、田代さんに怒鳴りつけられたんです。『球場の外を走っとけ! 試合が終わるまでグルグルグルグル回ってろ!』って。すごく怖かった。あんなに怖い思いをしたのはプロに入って初めてでした」

 田代に言われるまま、炎天下の下、山口は鎌ヶ谷の球場の周囲を走った。走りながら、なぜあんなに打ち込まれたのか、山口はずっと考えていた。いつまでも逃げていてはダメだ、攻めの投球をしないとこんなことの繰り返しで終わってしまう、と。

 「暑いし、疲れてるし、ヘトヘトになって、頭がボーッとしてるとき、そうだ、攻めるんだ、攻める姿勢が大切なんだって、不意に気がついたんですよ。ああして田代さんに走らされてなかったら、そんなこともわからず、いまごろは野球をやめてたんじゃないかな。大げさに聞こえるかもしれませんが」

 走り終えたあと、裏方さんが紙コップに水を入れて持ってきてくれた。「あの水の味は一生忘れない」と山口は言った。

 山口の復帰がいつになるかはわからない。いまは、起こした事件を償うことが先決だ。もし復帰のチャンスを与えられたら、あの10年前の水の味を思い出してほしい。

  
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