中東を読み解く

2017年7月28日

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携帯を取り上げ、辞任迫る

 権力闘争の激化はイランだけではない。イスラムの守護者を辞任する対岸のサウジアラビアでも王宮の政変が今もサルマン体制を揺れ動かし続けている。事の発端は、サルマン国王が6月21日、甥のムハンマド・ナエフ皇太子を解任し、息子のムハンマド・サルマン副皇太子を皇太子に昇格させたことだ。

 問題は「クーデターのようなものだった」(ベイルート筋)といわれるそのやり方だ。米ニューヨーク・タイムズが米当局者らの話として伝えたところによると、聖なるラマダン(断食月)が終わる直前の6月20日夜、ムハンマド・ナエフ皇太子(当時)ら古参の王子たちが国王の命によって、メッカのサファ宮殿に集められた。

 ムハンマド・ナエフ皇太子は国王が面会すると告げられて別室に移動したが、そこで宮廷当局者が皇太子から携帯電話を取り上げ、「皇太子と内相のポストを放棄するよう」迫った。皇太子は当初、この要求を断固拒否した。しかし糖尿病患者でもあるムハンマド・ナエフ皇太子は執拗な要求に疲れ切り、夜明け前になって遂に皇太子と内相を辞任することに同意せざるを得なかった。

 王宮はこれとは別に、王位継承順位を変更することを承認する機関「忠誠委員会」のメンバーを招集、その一部はムハンマド・ナエフ皇太子が薬物依存症で、次期国王としてはふさわしくない、と告げられた。その結果、同委員会のメンバー34人のうち、31人が皇太子をムハンマド・ナエフ王子からムハンマド・サルマン副皇太子に交代することに同意した、という。

 ムハンマド・ナエフ王子はその後、紅海沿いのジッダの自分の宮殿に戻ったが、宮殿の警備担当者らはすでに替えられており、王子自身も自宅軟禁下に置かれることになった。王子の腹心と見られていた治安担当のアブドルアジズ・フワイリニ将軍も軟禁状態になった、という。

 これは明らかにサルマン国王と息子のムハンマド・サルマン王子(現皇太子)が用意周到に仕組んだ「皇太子交代劇」だったことは確実だ。だが、その後も政変の余波は収まっていない。サルマン国王が今度は、軟禁状態に置かれているといわれたフワイリニ将軍を新たに設置した国内治安機関の長官に任命したからだ。

 王族からの「やり過ぎ」という声を考慮しての人事なのか、それとも将軍は元々、国王から元皇太子に送り込まれた“スパイ”だったのか。王国内には今も様々な憶測が飛び交っている。イランの権力闘争とサウジの政変の行方はペルシャ湾岸や中東だけではなく、世界にも大きな影響を与えようとしている。
 

  
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