あの負けがあってこそ

2017年8月4日

»著者プロフィール

 過去、国内のテコンドーの競技団体は分裂と統合を繰り返した歴史を持っている。現在「全日本テコンドー選手権大会」という名称の大会が複数存在していることからも、複数の団体がそれぞれに異なる発展を遂げてきたことを裏付けている。

 筆者は分裂と統合に関する正確な情報を持っていないため、これ以上の言及は避けるが、岡本は競技団体の軋轢や対立の狭間で、決して折れることなく練習を積み重ね「全日本テコンドー選手権大会」に初出場で初優勝を遂げている。その後、94年アジア選手権の銀メダルを皮切りに数々の国際大会で活躍。正式種目になった2000年シドニーオリンピックでは銅メダルに輝いている。このことによって国内のテコンドーの知名度は格段に上がった。

「幸せになるため」
ポジティブな言葉が自分を変えた

 苦しかった1年間を改めて振り返り、乗り越えられたのは心の持ち方にあったと答えている。

 

 「破門になって、ひとりで練習していたときに、私はなぜテコンドーをやっているのかと考えてみたのですが、答えは『幸せになるため』でした。それなのに、当時の私はネガティブなことばかり口にしていたことに気が付きました。メダルを取っても誰も喜ばない、なんて思っていたし、口にしていたのです。これじゃ幸せになんかなれるはずがない。これからは良いことだけを考えて行動してみようと思いました」

 「たとえば『オリンピックでメダルを取る』『本を出版する』『先生が喜んでくれる』『周りのみんなが喜んでくれる』などです」

 「心がけていつも前向きな言葉ばかりを使うようになったら、気持ちの切り替えができて、落ち込まずに頑張れるようになりました」

 練習面で心がけていたことは、安易に妥協して弱い相手とは練習しないということだった。「あかん中におったら、自分まであかんようになってしまう」からである。

 たったひとりの練習であっても、求めるものはあくまでも世界チャンピオンなのだから、と自身に厳しく課していた。

 また、井の中の蛙になってはいけないと、積極的に東京のチームに出稽古に行ったり、アルバイトでお金を貯めて韓国にも渡った。練習相手には強い相手を求めていたのだ。

 シドニーオリンピックで銅メダルを獲得。その後、先生の反応はどうだったのだろうか?

 「とても喜んで下さって、そんな先生を見ていたら、本当にこんな日が来たのかって嬉しくなりました。当日は取材などもあって、先生には謝ることもお礼を言うこともできないままでしたが、普通にお会いできたことや、喜んでもらえたことが嬉しくて励みになりました」

関連記事

新着記事

»もっと見る