2024年4月25日(木)

古希バックパッカー海外放浪記

2017年8月20日

(2016.6.18.~9.14 89日間 総費用18万2000円〈航空券含む〉)

なぜかインドでは中国人を見かけない

 インドを歩いて奇妙なことに気づいた。どこに行っても中国人観光客に会わないのである。いわゆる“中国のプレゼンス”がほとんど感じられないのだ。世界中どこでも観光客だけでなく商人・労働者など様々な階層の中国人を見かけるのに不思議であった。

デリーの世界遺産レッドフォート(赤い砦)の音声ガイドの看板。ヒンドゥー語、英語、韓国語の自動音声ガイドがあるとの案内。インド以外の世界各地の観光地では通常英語、中国語という順番であるが。悲しいかな日本人ツーリストは韓国人団体さんより圧倒的少数派になってしまい日本語案内はなくなった由

 3カ月間で出会った中国人旅行者は四川省の女学生と雲南省のアラサー女子の食品管理技士の2人だけであった。ベトナムを思い出した。ベトナムでも中越国境紛争の影響なのか中国人旅行者はほとんど見かけなかった。

北インドのチベット系王国の古都サラハンのヒンズー教のビーマカーリー寺

 「中国人は嫌いです」

 7月8日。キナウル渓谷のレコンピオという町のバスターミナルで中国人と思われるカップルに遭遇。話してみたら彼らはミャンマーの隣のインパールの出身のインド人であった。中国雲南省、チベット自治区、ブータン、バングラ、ミャンマーに囲まれたインド北西端のアッサムを中心とする7つの州ではモンゴロイド系住民がマジョリティーであるが日常言語は英語とのこと。

インパール出身のモンゴリアン系カップル。旧日本軍を礼賛する親日的インド人

 彼はインド軍の軍属でミサイル技術専門家であった。風貌が似ているので中国人に間違われることがあるが大変心外であるという。この地域の住民は中国及び中国人が嫌いと地域事情を語った。

 彼らはインド人としてのアイデンティティーが強くインド人として誇りを持っており、隣接する共産中国は理念的にも受入れ難いと理路整然と語った。

 ちなみに私が日本人と知ってインパールには日本兵の墓があり人々が大事に守っていると教えてくれた。この地域の人々は非常に親日的でありインド独立闘争の英雄チャンドラ・ボースと一緒に英国支配から解放しようとした日本軍とインパール作戦は今でも高く評価されているという。

中国国境のキナウル渓谷の軍用道路をローカルバスで走る

メード・イン・チャイナは蔑称?

 インドでは中国製商品もどうも影が薄い。デリーで帽子、サンダル、時計バンド、ウォーキングシューズを買おうと歩き回ったが中国製は見当たらなかった。欧州や東南アジアでこれらのアイテムを買おうとすれば中国製品が大半で中国製以外を見つけるのが困難なほどであるが。

 デリーではこうした一般消費財においては欧米有名ブランドであろうとメード・イン・インディアばかりであった。しかも価格はインドの物価水準に合わせてあるので我々外国人にとってはお買い得である。

 さすがに北インドでヒマラヤに近い地方に行くと亡命チベット人社会のルートでチベットから陸路中国製品が入ってくるので衣類・傘・履物など中国製品も売られていた。しかし都市部から来た観光客や中流階級のインド人は決して中国製品を手に取ろうとしない。最初からメード・イン・チャイナを排除しているのである。

 彼らに話を聞くと、曰く「メード・イン・チャイナは安かろう悪かろうで粗悪品ばかり」「同じ値段で品質が保証されたインド製品があるので中国製品は不要」「中国が嫌いだし中国製品も信用できないので買わない」とかメード・イン・チャイナはとかく評判が悪い。

改革開放後の中国経済発展を急追するインド経済

 インドは元来天然資源や農産物が豊かな大国であるが他のアジア諸国に比べて経済発展が遅れていた。ソ連型の計画経済や輸入代替工業化政策に訣別して1991年以降経済改革により急速に経済発展。特にIT産業分野では世界的に存在感を増している。

サラハンからキナウル渓谷へ向かうローカルバス

 デリーから北へ移動して北インドを3カ月間旅行したがインドの目覚ましい経済発展を目の当たりにすることになった。北インドは気候的に涼しくシムラー、マナリーなど伝統的に避暑地が多いが、北インドのどこに行ってもホテルやゲストハウスの建設ラッシュであった。小さな村でも朝早くから家族総出で民宿を建てていた。

 スズキマルチなど国産車やロイヤル・エンフィールドなどの国産バイクに乗って家族連れやカップルまたは友人どうしで旅行する中産階級のインド人で宿泊施設はどこでも大繁盛。北インドを旅行している外国人は大半がバックパッカーで地元にあまりお金を落とさないがインドの急増する中流階級の旅行ブームは貧しい北インド経済を確実に潤していた。

インド人の嫌中的心情

インド料理の定食ターリの北インド版。一見豪華に見えるが菜食料理である

 今回の旅行をつうじてインド人から嫌中論を何度も聞いた。近年の経済発展を背景にインド人が自信を持ち始め中国への対抗心が高まっているように感じた。

 1962年の中印国境紛争では周到に準備した人民解放軍の不意打ちにインド軍が対抗できず不本意な形で停戦ライン設定を強いられたという忸怩たる思いはインド人に根強く残っているようだ。

 中国共産党は1949年の建国以来絶えず領土拡張を志向してきた。建国直後のチベット併合、その後のチベット侵攻によりダライ・ラマはインドに亡命して亡命政権を樹立。インド政府は爾来ダライ・ラマ亡命政権を手厚く保護してきたが、今回北インドを旅行してダライ・ラマがヒンズー教徒、イスラム教徒を含めて広く深くインド人から崇敬されていることを目の当たりにした。

 そもそもヒンズー教は仏教と同じルーツを持つ兄弟であるとインド人から何度も聞いた。チベット仏教を弾圧する無神論の共産主義中国とはインド人は心情的にも相容れないようだ。


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