ネット炎上のかけらを拾いに

2017年9月5日

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 ダウンタウンの松本人志といえば、昔は一言で常識を覆すキレの良さを持っていたものだが、今やテレビの前で悪態をついているおっさんと変わらない。

「子どもには暴力で言うことをきかせていい」は大人側の論理

 何か事件があるたびに議論されるのが教育現場でのいじめや体罰問題。10~20年前にはそれこそ、「いじめられる方にも問題がある」「体罰にも愛がある」なんて言説がまかり通ってきたが、さすがにここ最近は、いじめや体罰は悪である、という認識が広まりつつあるように見えた。ようやく。

(iStock/Tomwang112)

 しかし、ジャズトランペット奏者の日野皓正が壇上で男子中学生の髪をつかみ、往復ビンタしたと報じられている件では、「体罰は絶対に許されないことなのか」という議論が再燃している。男子生徒がコンサート中に身勝手な演奏を続けたため、仕方のない処置だったという論調もある。

 もしこれが、会社の中で上司から部下へ行われたことであればパワハラであり、暴行罪もしくは傷害罪に問われる事件になりかねない。たとえ部下が仕事上で暴走したとしても、それを暴力で罰していいという話にはならない。それなのになぜ、指導者から子どもに対して体罰が行われるときだけ、「アリかナシか」の議論になるのか。

 それは、「子どもは言葉で言ってもわからない存在だ」「だから体で教えてもいい」という認識を一部の大人が持っているからではないか。自覚的にしろ、無自覚にしろ。

 確かに大人に比べて子どもは判断能力に欠けるところがあるだろうし、自分の欲望を理性で止められない部分もあるだろう。「子どもには言葉で言ってもわからない」は、実際に子どもを育てたり指導したりしたことのある人の多くが抱える実感かもしれない。しかし、「だから体で教えていい」は、おかしいだろう。なぜ大人から子どもに対してだけ、暴力が条件付きで容認されるのか。それは大人側の論理ではないのか。

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