障害と共に生きる~社会で活躍するチャレンジド

2017年9月14日

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初瀬:2012年のロンドン大会以降、イギリス人の意識は変わりましたか。

田中:肌感覚としては車いすで出かけやすくなったと思います。

 2012年までのロンドンは、私が杖をついて、大きなスーツケースを持って、駅の5段くらいの階段を上がるのに大変であったので駅員さんに手伝ってほしいと言ったら、「俺の仕事じゃない」と断られました。上がれずに困っている私を見て、通行人が手伝ってくれたのですが2012年まではそういう国でした。

 2013年に学生を連れていったときは、切符を買いに行くと、駅員さんは車椅子に乗っている私を見て、「あなたは歩ける?」「階段は?」と聞いてきました。「歩けます」と答えると、どこどこの駅までタクシーで行って、その駅から電車に乗れば目的地に1時間くらい早く着けるし、その方が安いよって教えてくれたのです。

 次の駅では、「どこへ行くの?」と聞かれたのでホテル名を告げると、最寄駅は〇〇だけど、ひとつ手前の駅で降りてタクシーを使うといいよ、と帰りやすい方法を教えてくれました。そういったアナログ情報をくれるように変わっていたのです。ストレスを感じることが減ったと思います。

 私は東京オリ・パラの組織員会でも言ったことがあるのですが、すべての駅にエレベーターやエスカレーターがあればもちろんいいですけど、声を掛けることであったり、こうした経験みたいなアナログ情報を出せることも大切だと思います。ハード面も大事ですが、ソフト面の充実も重要であると思っています。

初瀬:肌感覚で暮らしやすくなったということですが、それはソフト面が大きいということですね。

 日本では車いすに乗っている人に「歩けますか」とは聞きませんよ、それは障害者のことをよく知っている方の質問です。それを駅員さんが聞いてくるというのはオリ・パラ開催の良い影響ですね。ロンドン大会ではボランティアが大勢参加しましたから、その名残かもしれません。日本もそういったものを参考にしながら、取り入れていくべきですね。

少しずつ変わりはじめた障害者を取り巻く環境

初瀬:リオ・パラは運営はともかく、史上最高の観客だったという声をよく聞きます。

 障害者スポーツを楽しんで見てくれる観客って少ないんですよ、主に関係者で、まじめで堅い人ばかりだったりするんですね。でも、リオは観客が楽しんで見ていることが感じられたので、出ている選手たちも楽しかったと言っています。

 リオはそういったスポーツが好きな人や、楽しみたいという人たちが来ていたんでしょうね。それだけ特別な人たちという感覚から、自分たちと近いという目で見て、スポーツを自然に応援する感覚になってきたのだと思います。

田中:学生の中には障害者スポーツの研究や勉強をしているわけではないのに、車いすを当たり前に畳むことができたり、視覚障害のある方のガイドをしている姿を見かけます。「私は障害者を支援します」なんて頑張るのではなく、自然にそれができる姿をいいなぁと思って見ています。

 2020東京のあと、肌感覚ではありますが、無形のレガシーとして、こうした自然な行為を残せればいいですね。

 日本では長い間、障害者はかわいそうだ、大変だという感覚があります。それは今もありますが、これからは、日常のなかにあたりまえにいる身近な存在という感覚になっていけばいいですね。

初瀬:パラリンピックの好影響かもしれませんが、街中に障害者の姿を見かけることが多くなったような気がします。駅では「視覚障害の人を見かけたらお声かけください」と放送が流れます。私は当事者として感じますが、こういう放送が流れるだけで、視覚障害者は安心できます。出かけやすくなりました。駅員さんが視覚障害者を見たら率先して声をかけているので、他の乗客の人たちも声をかけやすくなっているんだと思うんです。

田中:パラリンピックを契機として、ハードとソフトの両面を充実させていくことはより重要になるのではないかなと。

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