2017年11月25日(土)

HMd

2017年11月1日

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ネイルサロン業界に初めて月額会員制を導入し、現在は全国20店舗以上を展開する「ネイルステーション」。運営母体であるベレックス株式会社の代表を務める八藤浩志(はっとう・ひろし)氏が出版した本のタイトルは刺激的だ。「見た目が若いは、武器になる。」(ワニブックス発行)。見た目年齢マイナス15歳を実現した独自の若返りメソッドを紹介している。

八藤浩志(はっとう・ひろし) 東京理科大学理工学部物理学科卒業後、リクルートコスモスに入社。退職後は不動産会社等を経て、ベレックスを設立。会員制のネイルサロン「NAILSTATION」を事業化。自身の結核による闘病生活をきっかけに、健康や美のための「HMdメソッド」を生み出し、南青山に「HMdサロン」をオープンした。2017年に52歳を迎え、私生活では孫もいる。
 

マイベスト年齢を設定すれば自然とエネルギーを注げる

―今年52歳とのことですが、どうして38歳にこだわっているのですか。

 それは、38歳の自分が、いちばんチャレンジ精神が旺盛だったからです。そんなふうに思ったのは45歳の時です。ビジネス・コーチングの講師から「八藤さん。45歳は人生の折り返し地点ですよ」と言われたのに違和感を持ちました。確かに年を取ると有終の美を意識して、人生のまとめに入りがちですが、僕はもっとチャレンジしたいことがあるし、好奇心を持って生きていたい。意識すべきは実年齢ではないなと感じました。では、何歳ならいいのか。経験、気力、体力ともにいちばん満ち溢れていたマイベスト年齢は38歳でした。それ以来、ずっと自分を38歳だと思って過ごしています。 

 マイベスト年齢を設定すれば、おもしろいことに自然とエネルギーを注げる自分になれます。毎日が楽しいし、わくわくする。常にチャレンジも続けられます。表情や姿勢にも表れ、若々しい雰囲気をまとうことができます。若々しさは無理やり得るものではありませんが、マイベスト年齢を保つために無理なく続けられる適切な生活習慣が不可欠です。私が個人的に実践している習慣は8つのテーマで64に及びます。このHMdメソッドを、みなさんの健康のヒントになればと考えているのです。

―昔から、健康への関心が高かったのですか。

 むしろ逆で、40歳まで健康に気遣うことは一度もありませんでした。かといって身体が丈夫だったわけでもありません。幼少より虚弱体質で、「八藤くん、大丈夫?」と周りから言われ続けてきました。父親も42歳で亡くなり、そういう家系だと冷めていました。

 転機となったのは、40歳を少し過ぎたころ。当時は、ネイルサロンの事業拡大で睡眠時間を極限まで削って働いていました。体調を崩し病院で精密検査を受けたところ、「結核」との診断で、その場で強制入院が決まったのです。ほかの病気であったら、入院も拒否し、いまのような自分ではなかったかもしれません。

 隔離病棟での入院です。医師からは半年程度の入院はざらだと聞かされ、正直、絶望感に打ちひしがれ足が震えました。ところが、いざ入院してみると、意外と楽しいのです。会社経営やベンチャーとはまったく接点のない人たちと一緒に過ごすのですが、世の中にはいろんな人生があるんだなぁと。一方で、経営者ってこんな風に健康を害して倒れていくのかなとも感じました。健康あってこそいろんなことができるものだと身に染みました。お陰様で入院は3ヵ月ほどでしたが、その後の自宅療養などで、ぽっかり時間が空いたため、せっかくの機会に健康を突き詰めてみようと決めました。

(左)入院直前、2005年頃。(右)退院直後、当時43歳。

―具体的に、どのようなことをしてきたのですか。

 トレーニング専用ジムで身体を鍛えたり、美容クリニックに行ってボトックスやヒアルロン酸を注入したり、ありとあらゆることに取り組んできました。47歳のころに通っていたアンチエージングドックで血管年齢を調べてもらうと72歳とのこと。これまでの不摂生を思い知るとともに、ますます過剰に健康法を広げました。費やしてきたお金は1億円を下らないと思います。

 ただ、不思議なことに、何をやっても健康になったと感じられませんでした。一生懸命、筋肉をつけても顔色が冴えないのです。今思うに、健康はお金を出して他力本願で得るものだと誤解していたのでしょう。お金を出しても、思うような成果が出なければ癪に障るので、健康にいいわけありません。最終的にたどり着いたのは、自然の力で何とか自分を変えるという至極当たり前なものでした。

 健康法の模索を通じて、改めて気付かされたのは、自分がどうなりたいかという軸がしっかりしていること。自分にブレがないことです。これは、ビジネスも同じです。人脈づくりや事業計画といった技術は他人に教わることはできますが、企業のあるべき論は、自分の中に答えがあるものです。

自分自身がサンプルになって面白く人に話を聞いてもらう

―ネイルサロンを始めることになった、きっかけはあるのですか。

 大学では物理を専攻しましたが、アメリカにホームステイしたことをきっかけに、海外で仕事をすることを夢見るようになりました。当時、理系出身の僕には商社への就職はかなわず、学閥を気にしないベンチャー集団であるリクルートに急速に心惹かれました。起業を前提に入社したので、結局2年9ヵ月で退職。独立後はリクルートの先輩の仕事で不動産仲介の仕事をやったり、海外で買い付けたブランド品を日本の業者に売ったりといろんなことをしましたが、所詮、起業の目的も“いい車に乗りたい”といった浅はかなものなので、長くは続きません。30歳を過ぎ、事業がこれ以上うまくいかなければサラリーマンに戻ろうと腹をくくりました。そんな時に、知り合いから「おもしろい人がいるから会ってみたら」と紹介されたのが、ネイルバンク社長の豊田さんです。 

 

 「夜のヒットスタジオ」という番組で司会の吉村真理さんが、毎回ネイルを自慢していましたが、芸能人やお金持ち向けのネイルサロンを展開していたのが豊田さんです。僕はネイルの「ネ」の字も知りませんでしたが、こんな世界があるんだと新鮮に思い、豊田さんのスクールに半年間通いました。

 多くの女性にとっても、まだネイルが一般的ではない時代。自分が知った知識を周りの女性に伝えると、興味津々に喜んで聞いてくれるのです。半面、ネイリストはまだまだ仕事が限られていて、アシスタントは食べるに事欠く状況でした。新しいネイリストのために自分が一肌脱げないかと考えて、異端児的に始めたのが「NAILSTATION(ネイルステーション)」という事業です。

 当時、マニュキュアのカラーリングは1回2500円が相場です。ただ、残念ながら1週間くらいしか持たないため、あとは自分でドラマでも見ながら塗っているといったケースが多かったと思います。値段を安くすれば、お客様はうれしいけどネイリストは負けてしまう。そこで考えたのが3800円という月会費を払ったいただける方だけをお客様にすることでした。会員になれば、マニュキュアのサービスを無料で受けられるようにしたのです。当然、お客様が月に何度も足を運んでいただけます。一見、もうからない話ですが、来店のたびにマニュキュア以外のデザインやケアのお話をすることで、そういったサービスがお金になるわけです。

 お陰様で「NAILSTATION」は、雑誌やテレビでも取り上げられ、大きな反響を得ることができました。ネイリストという職業を確立できたことはうれしいですが、今後は世界に広げていきたいと思っています。

―出版された本を通じてメッセージを聞かせてください。

 美容や健康の情報は、世の中にたくさん溢れていますが、意識して実践する方は意外と少ないと思います。健康になりたいけど、自分の考えに合わないものは受け入れたくない。特に、企業経営者はモチベーションの高さが災いし、健康に対して距離を置いてしまいがちだと、自分自身を振り返りながら感じます。

 自分自身がサンプルになって伝えれば、美容や健康にもっと興味を持ってもらえると思いました。悲壮感のある話より、「見た目が若いと女の人にモテたり、いいこといろいろあるよ」って面白く話を聞いてもらえたほうが、「そんなの自分でもできるよ!」と感じてもらいやすい。紹介するメソッドの一つでも参考になればうれしいです。楽しみながら続けられれば、若々しい見た目は必ず手に入ります。