2024年4月16日(火)

東大教授 浜野保樹のメディア対談録

2010年10月15日

 かというとその子のすぐ近所には石垣をめぐらした大きな屋敷があって、そこにも同級生がいましたから、格差なんて、昨今新聞が言ってるのなんか、メじゃないよね。

 なぜか金持ちの家は秋田犬かシェパード、貧乏人は猫、って別れてたな、どういうわけだか。

浜野 じゃあ、音楽が生活で重きを占めていくのは、やはり高校生になってから?

石坂 ええ。それ以前はあまり関係ない。アメリカに憧れたっていうくらい。

 ああ、それでも、FENが放送するトップ10を、毎週ノートに記録していました。

 毎週土曜日、夜8時から8時30分までなんです。ビルボードのトップ20を、そのまんま放送していたんですよ。中学生のときは、それを聞いてました。ヒアリングのトレーニングにはなったかな。

 で、中学2年ごろから、アメリカン・ポップスのレコードを買い出すんですよ。あれはもう少しあと、高校のときだったかもしれませんが、自由ヶ丘にあったハンターっていう店。そこでよく買いました。主としてビクターとコロンビアばかりでした。

 同時に、オルディーズも集め始めました。これは新宿の国分っていう店。

 ここに行くと、たぶん駐留軍の払い下げシングル盤だったと思うんですが、マニアにとってはとてつもなく貴重なレコードがいっぱいあった。

 リッチー・ヴァレンス(Ritchie Valens 1941-1959、ヒット曲に「ラ・バンバ」)の「Donnna」とか。ザ・コーデッツ(The Chordettes、女性4人のフォークグループ)の盤とか、日本には契約がなくて入ってきていない、アメリカのマイナー・レーベルの盤ですね。しかしビルボードのチャート上位にはいるっていうような曲をそういうところで見つけて、欣喜雀躍とした、という頃。

浜野 その頃集めたレコードはいま…

石坂 いやあ、どっか行っちゃった。


(構成・谷口智彦)

石坂 敬一(いしざか・けいいち)
ユニバーサル ミュージック合同会社会長。
慶應義塾大学卒業後に入社した東芝音楽工業株式会社で、ビートルズやピンク・フロイド等、洋楽アーティストの担当ディレクターとなる。英語の原題を大胆な 日本語訳にアレンジしたり、音楽批評家と連携してリスナーに音楽の理論的土壌を提供したりと、日本の音楽シーンを改革しヒットに結びつけ、70~80年代 にかけて洋楽ブームを巻き起こした。
邦楽アーティストとの親交も知られており、RCサクセションを率いた忌野清志郎をはじめ自社に移籍させたBOØWYや矢沢永吉、松任谷由実など、人脈は幅 広い。
2007年からは日本レコード協会会長も務め、若年層等に対する著作権教育と著作権意識の啓発に貢献、2009年には藍綬褒章を受章した。


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