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2010年10月26日

 依頼者が田門になら打ち明けられるのは、田門自身が苦労していて弱さがわかる人だと伝わるからだろうし、話を受け止めて導くという母から受け継いだ人間性を感じるからだろう。12年間一緒にいる手話通訳と「互いに何を考えているのかわかる」という呼吸ができていることも、田門という人間が依頼者に正しく伝わるためには必要だろう。

 さらに田門は、筆者の隣に座る手話通訳の手話を見つつ、筆者の表情を優しい目で見つめる。「親から叱られた時は、どうしてダメなのかという説明が難しかったので、『なぜ』を自分で想像するしかありませんでした」と言うように、通常の会話と比べて情報量が限られる中で、田門は相手の表情などからその気持ちを想像することに長けているのかもしれない。こちらも、田門の表情を見ながら話すことになり、そこで微妙なニュアンスのやりとりができる。会話って言葉だけじゃないんだと、あらためて気づく。こうして感情の交換をしているから、自分がわかってもらえているという気持ちを相手に抱かせることができるのだと思う。

 今は、仕事でも家庭でも、世の中のあらゆる場面で「言ってくれなければわからない」という雰囲気がある。何でも言葉に出して説明することが求められ、上手に話せる人が優れた人とされている。こんなところにも、目に見えるわかりやすさを追求してきた近代という時代が凝縮されているのだろう。そこでは「説明責任」が強固な人間関係をつくる礎となるかのようだが、田門を見ていると、その考え方はちょっと違うような気がする。

 北風のように一方的に話したところで、どれだけ説得力ある内容だろうと、それで相手は心を開くわけではない。内面からじっと滲み出る安心感や優しさに触れた時、太陽に接して自ら外套を脱ぐかのごとく、人は自分自身を見せてもいいという気持ちになるのだろう。人からの信頼を集める何ものかは、言葉にはならないところに宿っているのである。(文中敬称略)

◆WEDGE2010年11月号より

 

 

 

 

 

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