この熱き人々

2017年12月21日

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吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

 過酷度が上がるにつれ、田中の秘められた力が顕著になり、93年に日本で初めて実施された山岳耐久レースに出場して初優勝している。

 「72キロを夜通しかけて24時間以内に峰々を回る縦走型で、それまで日本にはなかったんです。登山マラソンは山頂がゴールで日中だけでしたから。その頃、休日に50キロぐらいは普通に走っていたので、みんなで出ようぜってことになってね」

 日本で初めてのレースにいきなり優勝した田中の快挙は、翌日のスポーツ新聞で伝えられ、それを読んだあるイベントプロデューサーから連絡が入った。

 レイド・ゴロワーズという人間版ダカール・ラリーのような耐久レースがあり、日本チームはまだ完走したことがない。タレントの間(はざま)寛平を冠したチームで初完走を目指したいので参加してくれないかという誘いだった。

 「大自然の中で地図を読みながらいろいろな種目をこなし、ゴールを目指すのは面白そうだったので、ふたつ返事でOKしました」

 それがアドベンチャーレースとの出会いで、田中の運命を大きく変えた瞬間だった。

 レースまで半年。クライミングは山岳部出身者、カヤックはアウトドアショップの店員、女性はトライアスロンの選手と、チームのメンバーを探し、半年で互いの技術を教え合って身につけた。当時27歳。田中はまだサラリーマンである。

 「半年の間にみんなで60日間練習しました。土日もゴールデンウイークも盆も有給休暇も全部つぎ込みました」

 舞台はボルネオ島。間寛平チームとはいえ、実質的なリーダーは地図が読めて体力的にも鍛えられている田中である。そして、初めてのアドベンチャーレースで、目標だった日本人初の完走を果たすことができた。

 「でも、あの穏やかな間さんがブチ切れたり円形脱毛症になったり、女性メンバーも感情を爆発させたりで、チームワーク的には全然ダメでした。よく考えたら、僕はすごく協調性のない人間で、チーム競技が大嫌いで、レースに誘われた時に面白さを感じると同時に抵抗があったのが、チーム競技だというところだったんです。人付き合いも苦手で、接客とか営業の仕事は絶対できないと思っていて、研究職はものすごく性に合ってて居心地がよかった。だから本当に自分ってダメだなと打ちのめされましたね」

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