この熱き人々

2017年12月21日

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吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

冒険レースを人生の中心に

 

 過酷な上にそんなに向いていないのなら、普通は二度と挑戦しないだろう。だが田中は翌年、職場に退職願を出し、プロアドベンチャーレーサーになると宣言している。

 「プロといっても自称プロで、食べていけるわけないので、これを自分の人生のメインにするという意思表示ってことですね」

 どういう経緯でそういう意思を持つことになってしまったのか。

「自分のダメな部分を突き付けられて、自分でもそれをわかっていながらこのまま生きていたら、人としてダメだと思ったんです。アドベンチャーレースこそ自分が成長できる場だ! と思い込んじゃったんでしょうね。全く迷いはなかった。基本的に楽天的で、ものを始める時にはいいイメージしか湧いてこないんですよ。そういう意味では、慎重さに欠けるタイプかもしれない」

 それはアドベンチャーレース向きの姿勢と気性でもあるかもしれない。しかし、当然ながら先人がいない道は地図すらない。貯金を切り崩しながら生活し、必死でスポンサーを探す。メンバーも探す。生活の基盤も作らなければならない。次々現れるチェックポイントをクリアしなければ先に進めない。

 

 96年には、ボートを1艇買った友人とラフティングツアーを始め、翌年には一緒に「カッパCLUB」というアウトドアツアーの会社を立ち上げて埼玉県から群馬県に移住。同時に挑戦の基盤「チームイーストウインド」を設立している。「レースを目指すメンバーがラフティングガイドをしながら生計を立てられるし、それ自体がトレーニングになる。それに、みなかみ町は山も川も雪もあって、アウトドアスポーツには最適の環境ですから」

 貯金が尽きる前に、しっかりと継続的に取り組める基盤を作り上げたということだ。田中のいざという時の計画力、決断力、実行力の証明でもあろう。

 田中にとって、もうひとつの難関は苦手なチームプレー、しかも求められているのはチームを引っ張るリーダーの役割である。

 リーダーって、一番強くて、経験や知識があって、正しい判断ができて、常にみんなに正確な指示を与えて引っ張る存在だと思って、人一倍勉強したし、トレーニングもしたし、全身全霊で頑張って、ついて来い! と張り切ったんですけどね」

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