世界潮流を読む 岡崎研究所論評集

2017年11月28日

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 National Interest誌の防衛問題担当編集者のマジャムダルが、The American Conservative誌ウェブサイトに10月18日付で掲載された論説で、今日の米ロ関係悪化の始源は、90年代半ばにクリントン大統領とストローブ・タルボット国務副長官がロシアの傷に塩を塗り込むような形でNATOを東欧諸国に拡大し、ロシアに恨みを残したことにあると述べています。要旨は次の通りです。

(iStock.com/cynoclub/RITA/Ingvar Björk/donfiore/Miles Nelson Photography/anurakpong)

 ソ連崩壊後、民主主義と市場経済を標榜して米国に擦り寄っていたロシアと米国の関係が今のように悪化した遠因は、1994年クリントン大統領がNATO拡大を始めたことにある。

 米外交官ジョージ・ケナン(第2次大戦直後、冷戦の到来に際してソ連封じ込め政策を提唱する「X論文」を書いて名を上げた)は1997年2月5日のニューヨーク・タイムズ紙に、「NATO拡大の決定は、ロシアのナショナリズム、反西側的で軍国主義的な傾向を掻き立て、ロシアの民主化を妨げるだろう。東西間には冷戦的雰囲気が戻り、ロシアは米国に逆らう外交をするようになるだろう」と書いている。

 クリントンは、フランシス・フクヤマが当時述べた「歴史の終わり」のような考えに与(くみ)して、ロシアに民主主義と市場経済を広めようとしていたのだが、それは少々ナイーブで、かつ、やり方にまずいところがあった。つまり、クリントンは、東欧諸国をNATOに組み入れながらもロシアの民主化も確保する(すなわち、ロシアを親米にしておく)という、両立し難い目標を追求した。

 1993年10月のクリストファー国務長官の訪ロから、ボタンの掛け違いは始まった。彼はNATOと東欧・ロシア諸国の関係についてPfP(Partnership for Peace)という構想(注:ワルシャワ条約機構の旧ソ連諸国がまとまって、NATOと緩い協議体を作るというもの)を提示、「これは東欧・ロシア諸国がいつかはNATOに加盟する道を開くものだが、それは長い道のりである」とエリツィン大統領に説明した。当時のロシアのエリツィン大統領は、これでNATOとの関係は安定し、ロシアの面子も救われると考え、この構想を全面的に支持した。

 しかしNATOを東欧諸国に拡大する話は、この後すぐに具体化した。クリントンは約束を違え、ロシアを「騙した」ことになった。クリントンはロシアを宥めるために、NATO・ロシア評議会を設置したが、何も決定権のないまやかしであった。

 当時国務副長官として対ロ政策を仕切っていたストローブ・タルボットは、上記のケナンの警告を無視した。タルボットは自ら書いているように、「こちらの提案から一歩も譲らず、相手が折れるまで待つ」という交渉術を奉じ、ロシアを敗戦国扱いして何でも呑ませたのである。当時コズイレフ外相は、タルボットに苦情を述べている。「米国の命令に従うのがロシアの為になると君は言うが、それは我々の傷に塩を塗り込むようなやり方だ」と。

 当時のロシアは弱く、泣き寝入りしたが、原油価格の急騰によるロシアの力の回復により、その後の状況は、かつてケナンが予言した通りになっている。ケナンは1998年、ニューヨーク・タイムズ紙に述べている。「NATO拡大の際には、ロシアの脅威は存在していなかった。それなのに米国はちゃんと守る意志も力もないのに、これら一連の諸国を防衛すると約束してしまったのだ」と。

 これら全てのことは避けることができたのだが、今となっては、もう遅い。

出典:Dave Majumdar,‘How Bill Clinton Accidentally Started Another Cold War’(The American Conservative, October 18, 2017)
http://www.theamericanconservative.com/articles/how-bill-clinton-accidentally-started-another-cold-war/

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