個人美術館ものがたり

2010年11月15日

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赤瀬川原平 (あかせがわ・げんぺい)

画家、作家

1937年、神奈川県生まれ。60年代にネオ・ダダイズムなど前衛芸術運動に参加。80年「尾辻克彦」名の『父が消えた』で芥川賞を受賞。『散歩の学校』『昭和の玉手箱』『千利休 無言の前衛』など著書多数。

 日本の絵画は藤島武二にはじまり、安井曾太郎、梅原龍三郎がかなりあって、荻須高徳、岡鹿之助、中川一政、香月泰男とつづく中で、須田国太郎が目に留った。

 自分が高校生のころ須田国太郎の絵を見て、地味だけどその老成した雰囲気は何だろうかと、気になっていた。でもこの画家は、世間に大々的に取り上げられるということがない。個人美術館をめぐる資料をあたってみても、この画家の美術館がどこかに造られているということも、なさそうである。それでいながらこの堂々たる渋い風格というものは、何だろうかと不思議に思える。ところがこの美術館には、その作品がかなりあるのだ。

 それにしても、そもそもこの全体のコレクションはどういう人のものなのか。

上原昭二氏(1927年~)

 コレクションの主である美術館理事長の上原昭二氏は、現在大正製薬の名誉会長だ。先代の正吉氏が経営の傾いた会社を引き受けて大きくした。いわゆる中興の祖だ。大正製薬といえば風邪薬のパブロンや、ファイト一発のリポビタンDだ。その実業で力をつけながら、このコレクションが拡充していったのだろう。

 先代のコレクションは日本画だったが、昭二氏からは洋画の方にも広がった。昭二氏が最初に買った油絵がドランだというのも非常に渋い。

 コレクションが増えて美術館構想が浮かんでくると、作品揃えも網羅的になるのだろうが、最初はやはり「これが好き」から始まり、それを自宅に飾って眺めていたそうだ。

 でもそれが次第に増えてくると、その着地点を考える。切手のコレクション、時計のコレクションなら、増えても個人的な問題しか生じないものだが、絵の場合、それも名画といわれるものの場合は、他に数あるものではないし、美術史の中での公共的な意味合いも帯びている。自分が見て楽しむだけでなく、その楽しみを世の中に還元したいと思う。

 昭二氏はそれを母のゆかりの地でと考えた。下田は縁者も多く、しかもこの場所に両親の菩提寺があり、そのそばに上原正吉・小枝夫妻が寄進した仏教美術館が建っている。いわれて行ってみると、すぐそばにその菩提寺につながる広場があって、池があったり噴水があったり、地元の人の憩いの場所となっていて、その一角に仏教美術館があった。静かな空間にたくさんの仏像が並び、時には仏像を彫る講習会や講演会などが開かれてもいるらしい。

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