定年バックパッカー海外放浪記

2017年12月3日

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高野凌 (たかの りょう)

定年バックパッカー

1953年生まれの62歳。横浜生まれ、神奈川県出身。大学卒業後は商社、メーカー勤務を経て2013年定年退職。2014年春から海外放浪生活を始める。放浪歴は地中海、韓国、インドシナ半島、インドネシア、サンチアゴ巡礼など。サラリーマン時代は主として海外業務に従事。ニューヨーク、テヘラン、北京にて海外駐在を経験。身長170センチ、57キロ。獅子座。A型。現在2人のご子息は独立し、夫人との2人暮らし。孫1人。

(2016.6.18.~9.14 89日間 総費用18万2000円〈航空券含む〉)

世界の果ての日本人妻の見たイスラエルの若者

 7月17日。ヴァシュシトの日本食堂の女将、Hさんと朝食後に雑談していたら、イスラエル人の話になった。ヴァシュシトはマナリーの北5キロに位置するので、マナリーに滞在している若いイスラエル人が多数遊びに来る。

マナリーからラダック地方に向かうバスは海抜5100メートルの峠を越える

 Hさんの観察によると、イスラエルの若者は食堂で昼間から“葉っぱ”(マリファナ)をダラダラと吸って、そのうちにビールを飲みだして騒ぐ。またイスラエル人の数が多いので横柄で傲慢な物言いをする。

 さらに金勘定が細かく、グループの客の精算にやたらと時間がかかる。さらには料理に細かなクレームをしてくる。その挙句に注文した料理と違うと文句をつけて金を払わないケースがある等々、散々である。

 Hさんのご主人のS氏によると、マナリーの観光業者の間ではかなり以前からイスラエルの若者の行状については問題になっていた。インド政府はインド各地からの要請を受けてイスラエル人観光客を制限することを検討したが、観光収入との兼ね合いもあり、未だに結論が出ていないという。

マナリーからレーへ向かうマイクロバス。イスラエル3人、韓国2人、ロシア1人、フランス1人、日本1人の乗客合計9人

フレンドリーでないイスラエルのYouたち

 マナリーに向かう途中のバスの車中でフランス人からイスラエルの若者の悪い噂を聞いていた。曰く「マナリーではオールド・マナリーに宿泊するな。イスラエル人ばかりで毎晩連中が葉っぱを吸ってバカ騒ぎをしている。騒々しいだけの低俗な観光地の見本だよ」。

イスラエルの兵役を終了した若者

 その後、なぜ多数のイスラエルの若者がインドを旅行しているのか、直接彼ら自身から様々な解説や感想を聞いたが、要約すると以下のようになる:

  • イスラエルでは兵役があり、高校卒業後に男子3年、女子2年が兵役期間。この兵役を終了すると、ボーナスが支給される。兵役終了後に大学進学や就職という進路を開始する前に大半の若者は“1年間の自由時間”(gap year)をエンジョイする。
  • そして長期海外旅行に出かけるがほぼ全員が“最初の目的地”(first destination)としてインドを訪問する。インドが人気の理由は大っぴらに葉っぱを吸ってバカ騒ぎして羽目を外せるというのが最大の理由。
  • その次にイスラエルから比較的近く、航空運賃が安い、自然が豊かである、多様な文化がある等々。

なぜかイスラエルの若者は仲間内での交流を好む

 私の3カ月の旅でもイスラエルの若者にはやや排他的な雰囲気を感じた。他の国のバックパッカーと比べて未知の人間と話したがらない、用心深い(cagey)感じがした。彼らと何度か一緒のテーブルで相席して他愛のない話で盛り上がったが、残念なことに真面目な会話を意識的に避けているように感じた。

5100メートルの峠を越えてラダック地方に入ると景色は一変し土漠が広がる

秘境で気まずい茶飲み話(awkward table talk)

 8月21日。北インドの最北端の桃源郷(Shangrila)と呼ばれる秘境Turtukで同じゲストハウスで、6人のイスラエルの若者と一緒に夕食をした。食後のお茶を飲みながら雑談をしているときにイスラエルの現状について質問したが、彼らの反応は不思議であった。他愛のない雑談では賑やかであった連中の口が急に重くなったのだ。

 例えば、イスラエルの人口は現在850万人以上であり、30年前と比較すると倍増していると以前聞いたので「急激な人口増により住宅や農地が不足しているのではないか」と尋ねると、誰も明確に答えない。なにかヘブライ語でひそひそと内輪で相談しているようだ。「若い人たちの失業問題も深刻化しているのではないか」とさらに聞くと困ったような顔をしている。

 まだ7時半と寝るには早いが3人が「先に休みます」と去ってしまった。

政治経済社会について自由闊達な議論を妨げるものは何か

 3人で何か相談している様子だったが、1人が代表して話し始めた。「外国人に対して政治的な問題をどのように回答するか相談していたけれど、意見がまとまらない。難しい問題なので回答ができない。今晩は6人のイスラエル人が同じテーブルに座っていたけれど、実は数人ずつバラバラで旅行していて偶然に6人が今晩一緒になったので、お互いに良く知らない間柄です」と口ごもりながら説明してくれた。

 住宅や農地の不足の問題を話すと、占領地域への植民問題とかデリケートな対外摩擦の問題に触れてしまうと懸念したようだ。

 兵役期間に政治的議論を避けてきた習慣が残っているのであろうか。自由に国内外の問題を議論できない、または“議論したくない”というもやもやとしたバリアーがあるのだろうか。不可解で精神的消化不良なひと時であった。

レーの町の北側の丘に聳えるゴンパ

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