したたか者の流儀

2017年12月2日

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パスカル・ヤン (Pascal Yan)

著述家

著述家。ルーヴァン・カトリック大学大学院中退(ベルギー)。証券マンとして25年間、欧州を中心に海外で過ごす。現在の職業は都内大学教授。

 

 食通でならした池波正太郎は、晩年の連載エッセーでなにも食べたいものが浮かばないと書いている。食べたいものがなくなるということは、危険信号となる。世の中にうまい物はたくさんあるが、ちなみに一つあげればスペインのサンセバスチャンのピンチョだろう。フランス国境に近い海辺の街だ。

(alexsalcedo/iStock)

 町中いたるところに、立ち食いの寿司屋のようなスペースがあり、皿に盛られた小ぶりのオープンサンドを食べる。この“ピンチョ”という食い物、あえて言えばピンセットと同じ語源か。ちょいとつまむから“ピンチョ”というのだ。銀座の有名寿司屋も軽くしのぐような瞬間芸の食べ物。

 このサンセバスチャンを中心におよそ東西南100キロ圏がバスク地方だ。従ってフランス国境を越えてしまう。

 ここの人々は、数々の謎に包まれている。欧州の言語とは全く関係を持たないのだ。時々日本人との関連が言われるがそれも違う。日本人にはほとんどいない血液RHマイナス持つひとが6割だそうだ。また日本とはフランシスコザビエルというバスク出身の宣教師とつながりがあるが、それだけのこと。

 バスク系といわれるチェゲバラも革命の間隙をぬって訪日しているが偶然だろう。欧州でも不思議な人々とされるので、日本と似たポジショニングということだろう。この不思議な民族は独自の言語を持ち、独特の食文化を継承している。ただし、古来、文字を持っていないため、さらに謎が深まっている。

 バスク語を話すのを聞いたことがあるが、全く判読不能であり近隣のフランス人でさえわからないそうだ。フランス語を下手に話すことを「スペイン系バスク人のように話す」というほどだ。国境を接していれば、普通は遜色なく言葉できるものだが、バスクは違う。

 そんなバスク人は長きにわたってスペイン政府と血で血を争う戦いをしてきた。ETA(バスク解放戦線)といえば泣く子も黙る武闘派で、フランコ総統の時期から2017年4月の正式武器放棄まで、何人の血が流れたことであろうか。

 バスク地方、特にビルバオを抱え、カタルニアと共にスペインでもっとも豊かな地区であるために独立を目指したのであろうか。それとも、不思議な民族として冷や飯を食わされ続けたために、武装蜂起したのであろうか。ETAの戦士として拘束された場合の拷問は熾烈を極めたようだ。また、その仕返しの方法も常道を逸していた。

 そんなバスク地方は、サンセバスチャンだけではなく、どこに行っても美味しい地の物がいっぱいある。平和な時代は、フランスもスペインも王家の保養地であった。一度フランコ時代にボタンの掛け違いで開始された報復合戦はやっと終焉を迎えたところだが、4月の武器放棄と期をいつにして、フランス国境で言えば反対側のカタルニアで独立騒ぎが起きているのも不思議な縁だ。

 バスク独立運動の最盛期、スペインはフランコ総統の軍事政権であった。したがって、他国がなんと言おうが、非人道的であろうが何でもありだったことであろう。ギリシャやスペインをEUに取り込んだ理由の一つに、近所で非民主的な政治が行われないよう監視するためだと、ベルギーの大学で欧州学の教授から直伝を受けた。そうでなければ早々に、ギリシャやスペイン・ポルトガルを仲間にするはずはないということであった。

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