ネット炎上のかけらを拾いに

2017年12月1日

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伝えたいメッセージは本当にあったのか

 公式サイト内で説明されているプラントハンターの男性による文章では、「ひとが植物を運ぶという行為が、どれだけのメッセージを届けられるか、その可能性に挑戦してみたい」と書かれている。しかし、批判者の多くは、「樹齢150年の大木を伐採して運ぶ」という行為そのものに、共感していない。

 ネット上にも指摘している人がいるが、「人間のエゴのために木を伐採すること」または「運んで利用すること」が咎められるのであれば、この企画だけがこれだけ批判される謂れはない。多かれ少なかれ、私たちは自分のエゴから自然を犠牲にしている。生きるためだけではなく、単なる楽しみのために木や、それを原料とするさまざまな素材を使っている。部屋の中に一輪の花を飾ることだって、「エゴ」なのだろう。

 だが、この企画では、そのエゴを過剰に飾り立て、さらには「これは問題提起だから、そのメッセージを受け取ってください、考えてください」と言う。まるで自分たちの行為は問題提起のための善行であると言いたいかのようにさえ見える。

 たとえば企画者が、「私たちのやっていることもエゴです。このエゴを見て、さあ考えてください」と開き直るのであればまだ、「問題提起」は受け止められたのかもしれない。

 謝罪の文章の中で、プラントハンターの男性は下記のようにも書いている。

 「もし、あの木をみて「かわいそう」と思ったなら、どうか、どうか その植物に対するやさしさだけは、忘れずにいてください。そしてその気持ちをもったままぜひこれからの人生を歩んでもらいたいと思います。」

 これは批判に向き合っていないと思われても仕方ない。批判は「あなたのやっていることは植物に対して“優しい”と言えるのか」なのだから。

 申し訳ないが、筆者にはプラントハンターの男性の謝罪文は、「説明が足りなかったけれど、とにかく見に来てくれば感動するから!」と読めた。24時間テレビのような感動や美談の押し付けに、ネットは敏感だ。理屈を重んじる一部のツイッターユーザーは特にそうだ。

 何か良さそうなメッセージを届けようとするために、プロジェクトを派手に盛り上げる。華美な言葉で装飾する。もったいつける。現代人に響く仕掛けを考える。必要なことだが、それも必然性あってのことだろう。大がかりな仕掛けをするほどの伝えたいメッセージが本当にあったのか。それがどうしても見えてこない。

 些細なプレゼントでもいいけれど、包装紙だけ過剰なのでは白ける。この企画の違和感の本質は、メッセージへの「がっかり感」。それを受け止めてほしい。
 

  
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