ヒットメーカーの舞台裏

2009年2月20日

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池原照雄 (いけはら・てるお)

ジャーナリスト

1950年生まれ。専門紙や全国紙の経済記者として自動車、エネルギー、金融、官庁などを担当。00年からフリーになり幅広い執筆、講演活動を展開。著書に「トヨタVSホンダ」(日刊工業新聞社)、「図解雑学 自動車業界のしくみ」(ナツメ社)など。

 容器に納豆と、裸のままのゼリー状のタレが区分けされて入っている。納豆を覆うフィルムを廃止し、食べるまでのわずらわしさを軽減した。見慣れないタレへの関心もあり、2008年9月の発売以来、1月上旬までに1億2000万食を売るヒットとなった。

 タレは液体という納豆の常識を覆したが、構想から8年を要したという労作だ。きっかけは、消費者の不満の声だった。べとつくフィルムの処分や、取り出す際に飛び散ったタレが手や衣服を汚すといった指摘である。

 食用酢最大手のミツカンが納豆事業に参入したのは1998年と新しい。00年には独特の臭いを抑制した『におわなっとう』や、納豆では初の特定保健用食品となった『ほね元気』という『金のつぶ』シリーズで事業を軌道に乗せた。一連のヒットに安住することなく、消費者の不満解消に取り組むため、『あらっ便利!』の開発はこの頃に始まった。

 当初は、社内の各部署から寄せられるアイデアをもとにアプローチした。多くの提案のなかで有望だったのは、フィルム引き出し方式。容器のふたを閉じた状態でフィルムを引っ張り出すと、容器内にセットしたタレの袋が破れるという仕組みだ。しかし、工程が複雑になって量産には向かず、コストも高くつくためお蔵入りとなった。

 なかなか前に進めない状況を打開するため、トップダウンによるプロジェクトが結成された。その名は「納豆革新プロジェクト」。06年12月のことで、マーケティング、営業、生産技術、工場など全社横断組織とした。

 発足して間もなく、チルド事業カンパニー・マーケティング本部開発企画課主任の長井健(36歳)もメンバーに加わった。入社以来、営業、マーケティング部門で納豆ひと筋。「簡単・便利な納豆」という目標に向けた挑戦を長井は「容器との闘いだった」と、振り返る。

 その容器でプロジェクトがまず着目したのは、納豆とタレを一緒に収める「一体型」だった。容器の底に深めの溝をつくってタレを置き、その上に納豆を収める。タレと納豆は接しないようにし、食べる際にはしで混ぜるという手順だ。

長井健 (マーケティング本部 開発企画課主任)

この時点で、商品の特徴であるタレはゼリー状とすることにした。従来の液体では搬送する時などに「納豆に飛散するのは明らか」(長井)だったからだ。独特のゼリー状態は寒天、さらにドレッシングなどに使われる増粘剤などを調合してできた。半固形の状態だが、攪拌する際の力によって液体になり、納豆と混ざり合う。

 その間も、容器は試行錯誤が続いた。タレを収める底の溝は、蚊取り線香のような渦巻き状など100を超える形状が試された。中には、溝にうまくはしが入らず、納豆と混ぜ合わすのも、ままならない失敗作もあった。

 長井らはさらに大きな問題にも直面する。納豆が発酵する時、その下に置かれたタレのうまみ成分などを、「納豆菌が食べてしまい、発酵が不十分になる」(同)という現象だ。容器の形状をさまざまに変更したが、結局、道は閉ざされ、プロジェクト発足からほぼ1年が経過した時点で「一体型」は断念した。

 チームはただちに次の容器開発に着手した。商品化されることになる納豆とタレを区切って収める「セパレート型」だ。ここでも容器の形状には議論が沸騰した。最終仕様は納豆が台形、タレが三角形に落ち着くのだが、生産部門からは長方形の組み合わせの方が、工程上、安定しやすいとの異論が出た。

 決着させたのは消費者の声だった。約400人のモニターから、台形の方に「混ぜやすい」などの高い支持が寄せられた。長井は、納豆事業では「新参者なので、お客様の声が第一」という。この商品の出発点も消費者の不満の声だった。「新参者」のチャレンジ精神が、まさに納豆の「革新」につながった。 (文中敬称略)

◆「WEDGE」2009年3月号より

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