2024年4月19日(金)

この熱き人々

2018年1月22日

 「出版する時、けっこう悲哀の意味合いを込めて命名した言葉でした。(『サイボーグ009』の)彼らは、どこで自分のアイデンティティーを確立できるのか。戦うためにプログラミングされた以上、戦うことでしか確立できない。そういう意味では、意志とは関係なく狂言というものをプログラミングされている自分も、自分を肯定しアイデンティティーを確立するには狂言をやり続けるしかない。そして観客の皆様に喜んでいただけた時に、初めて狂言師としての存在が証明されるのです」

 
 

 機械という人工物と生命体は、技術的に合体が成功してもどうしても生命の叫びのような拒否反応が起きる。それに負ければ終わってしまう。拒否反応と戦いつつ、自身の体の中で少しずつ融合させていき、ようやく違和感なく一体化できたのが、萬斎の場合は5、6年前だったということになるのだろうか。華やかで意欲的な活躍の内側で、萬斎が抱え続けていた葛藤の姿と深さがうかがえる。と同時に、自らの内側で戦わざるを得なかった時を乗り越え、今は全エネルギーを外に向けてまっしぐらに発揮できる一層の充実の時を迎えているということもできそうだ。

 17年、世田谷パブリックシアターでは、「平家物語」を題材に、過去から現在を貫く天の視点から人間の葛藤を描いた木下順二の壮大な叙事詩劇「子午線(しごせん)の祀(まつ)り」を初めて演出し、自ら3度目になる平知盛を演じた。古(いにしえ)と現在。古典芸能と現代演劇。40年ほど前の初演でも現代演劇、能・狂言、歌舞伎から役者が一堂に会し、父・万作が源義経を演じている。今回もさまざまなジャンルから力のある俳優が集結した。

 同劇場の芸術監督としての活動方針の一つに「古典芸能と現代演劇の融合」を掲げてきた萬斎にとって、上演時間が4時間近いこの大作はまさにその象徴のような作品である。

 「僕がやらなくて誰がやるのかという意気込みで創り上げました。久しぶりに心底くたびれましたね。稽古からの帰りの車で気絶するように眠ってました」

 芸術監督として、これからもアーティスティックに響くチャレンジをしていきたいと語る。キーワードは〝尖(とが)っていること〟。

 「前衛的、実験的なものも含め、予定調和的でなく見たことのない美しさ、珍しさを求めていきたいですね。ただ、アート、アーティストは個人であり、パブリックは公。いわば正反対なんですよね。税金が投入されるパブリックの制約はありますが、制約があるからこそ自由を求めて必死に考える。突き抜ける力があれば、世の中に広く訴求することができる。型を壊さず、型を超える。狂言師である僕が担う意味も生まれるんじゃないかな」


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