オトナの教養 週末の一冊

2017年12月22日

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本多カツヒロ (ほんだ・かつひろ)

ライター

1977年横浜生まれ。2009年よりフリーランスライターとして活動。政治、経済から社会問題まで幅広くカバーし、主に研究者や学者などのインタビュー記事を執筆。現在、日刊サイゾーなどに執筆中。ブログ:http://golazo-sala.cocolog-nifty.com/pinga/

――そうしたキャリア教育は、社会からの要請なのでしょうか?

福島:そうだと考えています。これまでの日本企業は、新卒社員を長期に渡り、安定的に雇用し、育成することができました。そのなかでは大学で学んだことと、入社後に求められるスキルが一致することはほとんど求められなかった。

 しかし、グローバル化が進み、早く結果を出すことが求められる現在では、安定した雇用やしっかりとした人材育成が保障できなくなっている。そこで、大学でスキルを身に着け、入社する段階ではある程度の能力やキャリア観のある人材でないと困ると考えられるようになったのです。また、終身雇用も崩れかけていますから、「自分はどう生きるのか」という自分らしいキャリアを求められる。こうしたことが、社会からのキャリア教育に対する期待につながっていると考えています。

――自己啓発本が売れた時期とも重なると思うのですが。

福島:バブル崩壊以降、社会や経済が停滞し、全世代に個人を強くしようという風潮が広まった。同時に「やりたいことをやろう」「夢を持とう」という空気感も広がりました。

 ただ、誰しもやりたいことを見つけられるわけではないし、自己実現をできるわけでもない。それにもかかわらず、やりたいことを考えることの難しさを、キャリア教育提供者側はわかっていない。また、やりたいことが見つからなくても、さきほどの美容師の例のように、キャリア教育を受けるなかで「この仕事を自分はやりたいんだ」と口にした瞬間に、やりたいことを追い求めるリスクは自己責任に変わる。

――やりたいことを追い求め、転職を繰り返すことで生じるリスクが、自己責任に転嫁されることに警鐘を鳴らしていますね。

福島:「その人のキャリアなんだから、その人に責任があるでしょ」と言われればその通りです。ただ、学校でのキャリア教育を通して、やりたいことや自分らしいキャリアを半ば強制的に選ばざるをえない状況で、それを起点に「君が選んだんだから、すべてが君の責任」というのはおかしいのではないかと。

 失敗やドロップアウトは必ず起きます。キャリア教育のなかで「やりたいことを実現するキャリア」が規範化される一方、学校という空間にある強い同調圧力のなかではそれをはね除ける術を教えなかったにもかかわらず、です。

――別に、やりたいことを見つけるな、夢を持つなと主張しているわけではないですよね。

福島:もちろんです。実は私自身、大学時代はやりたいことを見つけ、自己実現をすることは素晴らしいと考えていました。新卒でリクルートに入社しましたが、そういったキャリアを歩める人をふやしたいという思いで入社し、リクナビNEXTという転職サイトの企画開発をしていました。

 ただ、それに違和感を覚え、大学院に入学した。それまで「やりたいこと」、つまり個人の意思があることを前提にキャリアについて考えていましたが、社会学では極端に言えば、個人の意思なんてものは存在しない。個人の意思は必ず社会の影響を受けている。これまでお話してきたキャリア教育や情報提供者側、経済や社会の変化のなかで、そういった個人の意思が育まれてきている。

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