公立中学が挑む教育改革

2018年1月10日

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多田慎介 (ただ・しんすけ)

ライター

1983年、石川県金沢市生まれ。大学中退後に求人広告代理店へアルバイト入社し、転職サイトなどを扱う法人営業職や営業マネジャー職を経験。編集プロダクション勤務を経て、2015年よりフリーランスとして活動。個人の働き方やキャリア形成、企業の採用コンテンツ、マーケティング手法などをテーマに取材・執筆を重ねている。

教員の道を選んだワケ

 工藤氏は1960(昭和35)年生まれ。子どもの頃から数学や理科が得意で、高校は地元・山形県鶴岡市の進学校に進んだ。

「とはいえ、熱心に勉強するタイプというわけでもありませんでした。イギリスのロックが大好きで、ビートルズやレッド・ツェッペリン、ディープ・パープルなどにはまっていましたね。女の子にモテようと思って長髪にしたり、分かりもしない哲学書を読み漁ったりしていました」

 自分が納得できなければ動かない。そんな少年の胸には、「意味のないことを強いる理不尽な教師」への反発心が自然と芽生えていく。

 

「中学時代には『髪の毛が長い』と言って人のもみあげをつかむ先生がいて、大嫌いでした(笑)。髪型や服装を縛られる理由が分からなかったんです。卒業式などの儀式に向けて集団で何かを練習させられる時間も嫌いでした」

 教師たちは特に目的意識もなく、「決まっていることだからやるんだ」と理不尽を強いるだけの存在に思えたという。後年、既定路線に反逆するイノベーターとなったのは、当時の思いがくすぶり続けていたからなのかもしれない。

 高校卒業後は上京し、東京理科大学の理学部・応用数学科へ。コンピュータやプログラミングなどを専門的に学ぶ環境で、周囲には大企業の研究職を目指す同期もたくさんいたが、工藤氏は入学後すぐに「教員免許を取得して教職を目指す」という選択をした。

「理不尽を強いられることが嫌いなので、当時は『人に使われる立場』にも『人を使う立場』にもなりたくないと思っていました。教員になれば授業は自分だけの世界だし、ある意味では一匹狼で勝負しなければならない。これは天職じゃないかと考えたんです」

 そうして教員免許を取得した工藤氏は、地元に戻り、中学教師として歩み始めることとなった。

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