2024年4月19日(金)

WEDGE REPORT

2018年1月15日

日本は十分謝罪してきた

 文大統領は、あらためて日本側の謝罪を求めるともいう。

 日本はこれまで、何度謝罪してきたことか。

 今回の合意がなされた15年12月28日、ソウルでの岸田文雄外相(当時)と韓国の尹炳世(ユン・ビョンセ)外相(同)との共同記者会見で岸田外相は、「心身にわたり癒やしがたい傷をおわれたすべての(慰安婦の)方々に心からお詫びと反省を表明する」という安倍首相のメッセージを伝えた。

 そもそも、1965年2月、日韓基本条約仮調印のため訪韓した当時の椎名悦三郎外相は、「両国間の長い歴史の中に不幸な時期がありましたことは遺憾な次第でありまして、深く反省するものであります」と明確に謝罪している。

 さらに戦後50年の大きな節目だった1995年8月15日の村山富市首相の談話は、「植民支配と侵略によってアジア諸国の人々に多大な損害と苦痛を与えた」ことを認め「痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持を表明する」と大きく踏み込んだ。

 昨年12月30日付の読売新聞朝刊によると、1990年、韓国の盧泰愚大統領が来日した際、宮中晩餐会での天皇陛下のお言葉にある「痛惜の念」という表現は、陛下のご意向をくんで用いられたという。1984年、全斗煥大統領来日晩餐会での昭和天皇のお言葉、「遺憾」より強い表現となっている。

 それでも足りず、さらに謝罪せよという。まさか、そんなことはしないとは思うが、仮に日本政府が韓国の意向を受けて、あらたな謝罪をしたとしても、また同じことが繰り返されるだけだろう。

 文大統領は当初、合意の破棄も辞さない姿勢を見せていたが、さすがに思いとどまったようだ。だからといって、大国とは思えない振る舞いをする韓国への批判や嘲笑が軽減することはありえない。
 
 河野外相の談話にあるとおり、日韓関係はもはや「管理不能」になりつつあり、韓国とはもう、やっていけないと感じる人も少なくないのではあるまいか。1月11日付の産経新聞朝刊は、「韓国は放っておくしかない」という見出しのコラムを掲載した。溜飲を下げ、同感した読者も少なくないだろう。

 しかし、それでいいのか。韓国を「放っておく」ことは、日韓、さらに言えば日米韓3国の連携を解消することにつながる。それによって、誰が得をし、ほくそ笑むか。考えるまでもないだろう。

 文大統領会見前日の9日、板門店で開かれた南北閣僚級会談では、平昌五輪への北朝鮮参加問題、緊張緩和のための軍当局者による会談などで一定の進展がみられたようだ。北朝鮮との対話を模索しながら無視されてきた文大統領は、会談が実現したこと自体大きな成果と感じているだろう。

 しかし、日韓を離反させたうえで、文政権をいっそう自らに引きつけることができるとあらば、北朝鮮にとってはこれ以上望めない成果だ。しかし、核・ミサイルの脅威にさらされている日本や米国にとっては危険このうえない。

日米関係強化で韓国を引き戻せ 

 対日関係が冷却化するような事態をあえて引き起こし、北朝鮮との対話に前のめりになる文政権に対し、日米、とくに日本はどう臨めばいいのか。心情的にはともかく、現実のさまざまな状況を考慮すれば、韓国を「放っておく」ことは難しいだろう。繰り返すが、北朝鮮、そして背後に控える中国を利する結果を招くだけだからだ。

 とりあえず、日本がすべきことは、米国との連携をいままで以上に強化することだろう。韓国は対米関係を考えるときに、常に日米関係に強い関心を払う。「日米」に比べ、「韓米」が後れをとることを極端に嫌う。「日米」が、いっそう関係を緊密化すれば、韓国としても心中穏やかではなくなる。そうしておいて、韓国を日米に回帰せざるを得ない状況を作り上げるべきだ

 南北関係の推移を注視していくことも重要だ。南北対話を警戒する向きが日本国内にあるが、対話自体は本来、大いに歓迎すべきことだろう。南北間の問題だけを協議するなら朝鮮半島の緊張緩和にもプラスになるはずだ。ただ、核・ミサイル問題について、韓国が安易な妥協をして日米を窮地に陥れるようなことは避けてもらわなければならない。菅官房長官が、北朝鮮の五輪参加を歓迎しながらも、北朝鮮に圧力をかけ続けていくことを強調したのは、こうした期待と懸念を踏まえてのことだろう。日米は韓国に、詳細に南北関係の状況について説明を受け、韓国が対話一辺倒にならないよう牽制していく必要もあろう。

 韓国が対話を通じて北朝鮮の核・ミサイル問題を完全に解決できるなら、こんなすばらしいことはないが、韓国にそういう外交手腕があるとはとうてい思えないし、北朝鮮も相手にすまい。事実、9日の協議でも、この問題は議題にすらならなかったようだ。身の丈にあった南北対話を推進するよう日米は強く求めるべきだ。
 
 北朝鮮をめぐる日米韓3カ国の連携には長い歴史がある。最初は、1996年1月、当時北朝鮮国民を苦しめていた水害被害の救済、食糧支援をめぐる次官級協議だった。それ以来、機会あるごとに、緊急のテーマをめぐって首脳、外相、次官級、局長級などさまざまなレベルでの対話が行われてきた。

 この連携の枠組みはなんとしても維持しなければならない。それが存在すること自体、北朝鮮、中国への牽制になるからだ。文大統領が〝宥和政策〟を追求するとしても、日米韓の連携の効果まで否定することはできまい。


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