赤坂英一の野球丸

2018年1月17日

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 毎年、1月は関東の各球団の新人合同自主トレを取材して回っている。拙宅は東京都内の新宿区で、自主トレが行われる場所は日本ハムが千葉県鎌ケ谷市、巨人が東京都稲城市、ロッテがさいたま市浦和など、どこも郊外にあるファームの球場だから、いつも朝6時には起きなければならない。仕事のためだけでなく、健康維持にも役立つのだからと、もうすぐ55歳になる自分に言い聞かせて、懸命に布団から這い出している日々だ。

(Staras/iStock)

 健康とはすべての源である。野球について書く私のようなライターはもちろん、野球をやる選手たちにとってはなおさらだ。そんな健康の大切さを改めて教えられたと思ったのが、今月9日、自主トレの初日に日本ハムの栗山英樹監督が清宮幸太郎(早実)ら今年の新人たちに対して行った講話だった。

 「きみたちはもう、われわれファイターズの戦力の一員だ。おれはひとりひとりが大切な選手だと思ってる。だから、絶対にケガだけはするな。いいか、痛いところがあったら、すぐトレーナーに言ってくれ。ちょっとでも痛かったら、無理して我慢するんじゃない」

 また、さいたま市のロッテ浦和球場で行われている自主トレでも、新監督・井口資仁が初日に安田尚憲(履正社)らルーキーたちに向かってこんな訓示をしていた。

 「(キャンプ初日の)2月1日には全員参加でシート打撃(実戦形式の練習)を行うから、ほぼ100%の状態で来てほしい。そのためにはまず、ケガをしないようにしてください」

 一昔前の監督なら、「プロになった以上、ちょっと練習したぐらいで痛いの、かゆいの言うんじゃない。その程度のことで一人前になれるか!」と檄を飛ばすのが常だった。と書くと、大抵のファンは最近亡くなった星野仙一さんを思い浮かべるだろうが、表面的には大らかに見えた長嶋茂雄さんも、頭を使うID野球を標榜していた野村克也さんも、根っこは同じ根性論の持ち主だったと思う。

 長嶋監督が巨人に復帰した直後、1992年秋のキャンプでは、長時間の猛練習でケガ人が続出し、主砲・原辰徳(のち監督)をはじめ、次々に選手が途中帰京した。翌93年春には、ドラフト1位で入団した松井秀喜が、フリー打撃でいいところを見せようとして柵越えを連発、「おかげで腰を痛めてしまった」と、あとになって真相を明かしている。

 それでもミスターは、「私たちのころは、この程度の〝稽古〟は普通でしたけどねえ」と言って、キョトンとしていた。

 当時、ヤクルト監督だったノムさんは、「違和感」という言葉が嫌いだった。「おれら昔の選手は、少々痛くても痛いと言わなかったもんや。痛いと言って休んでたら、その間にレギュラーを取られるかもしれんから。ところが、いまの若い選手は、痛みじゃなくて、違和感があると言って休みよる」と言うのだ。私と同世代で、「違和感て何や? おれらの現役時代はそんな言葉はなかったぞ」というノムさんの〝名セリフ〟を覚えている記者は少なくないはずである。

 昔気質の指導者のおかげで大成し、実績を残した大物選手は確かにいる。が、その一方では、せっかくの恵まれた素質を持ちながら、練習や試合で無理をして消えていった選手も少なくない。それでも昔の指導者は「あいつには素質がなかった。根性も足りなかった」と言って済ませていた。「プロで頼りになるのは自分ひとりだけ。潰れたら一番悪いのは結局自分」というわけだ。これ自体はいまも通じる真理だろうが。

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