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2010年12月22日

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宮田徹也 (みやた・てつや)

1970年横浜生まれ。横浜国立大学大学院教育学研究科芸術系教育専攻修士課程修了。東京文化財研究所美術部、ZAIM、横浜デザイン学院非常勤講師を経て、美術評論活動を展開中。主な連載は、批評の庭、アートアクセス、てんぴょう、ヒグマ春夫、その他多数(ウェブ)、「音楽舞踊新聞」「テルプシコール通信」「コルプス」「新かながわ新聞」(紙)など。「コルプス」は編集委員、「代々木通信」は編集長を担当。

 Bunkamuraザ・ミュージアムで開催中の「モネとジヴェルニーの画家たち」。モネは印象主義の巨匠だけれどジヴェルニーって何だろう。ジヴェルニーはパリの北西約80キロに位置する村の名前。新宿から箱根までが凡そ100キロ。鉄道が通っていた120年前も、今ほど訪れるのは容易でなかったはずだ。

 クロード・モネ(1840-1926)は1883年、ジヴェルニーへ移住し、ここで生涯を終えている。1887年、30代前後のアメリカとカナダの画家7人がモネに憧れて二軒の借家を構えたことがジヴェルニーの「芸術村」の始まりだった。本展カタログに収録されている、ウィリアム・ブレアー・ブルースが母に宛てた手紙に感動が記されている。

 「私たちが居を定めたこの新天地について何の報告もしないまま、気づかぬうちに時が過ぎ去っていました。ここは、家の扉を開けるとほとんどすぐのところにセーヌ川が流れる、フランスで最も美しいところです」。

多くの画家に愛されたジヴェルニー

展覧会の入り口は、印象主義と関連の深い、薄紫色のきれいな壁に覆われている。

 Bunkamuraザ・ミュージアム学芸員の宮澤政男さんに展覧会の趣旨を聞いた。「ジヴェルニーはモネの庭で有名ですが、実はモネを慕う画家や風光明媚を好んだ画家などが集まる、いわば芸術家のコロニーだったのです。この事実は日本ではあまり知られていないので、新鮮な驚きがあると思います」。

 多くの外国人画家がその後もこの地を踏み、滞在するものの、戦争によって彼らは退去を余儀なくされ、1914年以降「芸術村」は徐々に終焉していく。

 外国人画家は自国に戻ると印象主義を展開した。そう、印象主義の拠点はジヴェルニーなのだ。ちなみに日本からは洋画家・児島虎次郎(1881-1929)もこの地を訪れている。

 ジヴェルニーを訪れた外国人の7割以上はアメリカ人だった。ここで生まれた「アメリカ印象派」の作品と資料を、現在テラ・アメリカ美術基金が100点ほどコレクションしている。その中から約50点の絵画作品が今回、日本で初公開されたわけである。

モネの作品を見るときのコツは?

ジョン・レスリー・ブレック 《積みわらの習作:秋の日7》
1891年 油彩・キャンヴァス  テラ・アメリカ美術基金蔵
Photography © Terra Foundation for American Art, Chicago

 展覧会は四章に分かれている。会場はよくある白い壁面だけではなく、薄紫、藍、翡翠といった印象主義と関連の深い色で所々覆われている。

 「第一章 周辺の風景」の部屋を抜けると「ジヴェルニーのモネ」となり、1883-91年のモネの作品が並ぶ。名作で知られる《積みわら(日没)》を見てみよう。描かれているのは藁が積まれている「状態」ではない。藁に映る「光と空気」なのだ。ジヴェルニーを訪れた若者たちは、これを学びにきたのである。「第二章 村の暮らし」にあるブレックの12枚の連作《積みわらの習作》を見るとそれがよく分かる。とりわけ《秋の日7》では、影の付け方や視覚され得ない空気をどのように描こうかとブレックが試行錯誤した跡を発見することができる。

クロード・モネ 《積みわら(日没)》
1891年油彩・キャンヴァス  ボストン美術館蔵
Photography © Museum of Fine Arts, Boston

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