2024年4月26日(金)

東大教授 浜野保樹のメディア対談録

2010年12月27日

 本広くん(本広克行監督)は学生時代レンタルビデオ屋でバイトしてたんだけど、それは朝から晩までビデオを見ていたかったからだっていうくらい。脚本の君塚(良一)さんの映画好きは有名な話で、彼も日芸(日本大学芸術学部)時代、東宝撮影所へバイトに行ってます。

浜野 そして亀山さんは五所平之助監督の書生をしていた…って話は、後の方に回すことにします。

亀山 いやそうなんです。そんな3人が集まって、テレビドラマの相談しますよね。

 おい、あの映画だとどうだったっけ、と言うと、ビデオがあるから次の回までに見てくることができるでしょ。そんなふうな見方ではあったものの、映画は非常に近い存在でした。それは確かかな。

 月9だと、「ビーチボーイズ」(1997年、反町隆史、竹之内豊主演)の脚本書いた岡田惠和さん(のちNHK「ちゅらさん」の脚本)もそうだし。映画の好きな連中がたまたま集まっていました。

 けれど映画の見方が、なんたってネタ探しでしょ。だったら客入りの悪かった映画の方が参考にした時もばれにくいんじゃないかとか、考え方は姑息っていうかね(笑)。そんな発想で、知る人ぞ知るようなハリウッド映画も当時いっぱい見ました。

浜野 ちょっと経歴補足していただくと、1980年入社で…

亀山 はい。で、10年間編成部にいて、そこで最後の5年くらいは外部プロダクションで番組をつくる編成側のドラマ担当でした。

 そのあと、1990年から99年まで正味10年が、いまでいうドラマセンターにいた時期です。枠を1個預かって、番組づくりをやっていく係。

浜野 じゃあ日本テレビの奥田(誠治)さんみたいに、最初から映画担当だったってわけでは…

亀山 全然。

浜野 あ、読者のため言っておくと、奥田さんと亀山さんって同い年なんですよね。

亀山 そうそう。

浜野 で、奥田さんは宮崎駿さんたちと出会って「魔女の宅急便」や「千と千尋の神隠し」といったジブリ作品、実写だと「20世紀少年」なんかを手掛けてこられた方です。期せずして同年のお2人が、キー局の映画づくりを担当して、あっと言う間にテレビ局を映画づくりの主役に押し上げていったということです。またあとでも触れるかもしれませんが。

 話を戻すと、ドラマ制作の現場にいながらにして、「踊る」映画化に入っていかれたわけですね。

亀山 そうなんです。 「映画にしてみたら?」って最初言われたとき、ピンと来たのは「え? だっていま日本映画は人が入っていないんでしょ」ということでした。

 自分自身の邦画体験ってなんだろうって自問したら、学生時代の「ATG(日本アート・シアター・ギルド、1970年前後、作家性の強い前衛的作品を多数つくった)」だったり…。
やるんだったらどうしようかって、考えたわけです。

 それで思ったのは、映画だからって大上段に振りかぶるのはやめたいな、と。テーマが重くなってはいけない、とか、豪華キャストを揃えなくては、とか、そういうことは考えまい、と。

 テレビとおなじやり方でつくって、事件だけ少し大規模になるようにしよう、ということでした。

視聴率競争で鍛えられたテレビの感性が生きる

浜野 みんな映画好きなんだけど、さっき名前の出た3人で話はしました、いろいろ?

亀山 「ハリウッドの映画って、どうして当たるんだろう」って話し合いましたね。君塚さんや本広くんと。

 まず感じたのは、テンポです。かなり速くしないといけない。

 そのとき君塚さんが、どっかで「先を急げ、客は待ってくれない」って言葉を仕入れてきましたっけね。

 あのころは電車に乗ると、少年雑誌をたくさんの人が読んでいた。あるとき、何気なしに見てると、ページをめくるスピードが半端じゃない。あんまり僕、マンガは読まない方なんで、とても追いつけない。人間ワザじゃないくらい速く読んでる人がいる。

 これだよーって思いました。どんどんと先へ先へ行かないと、お客は待っちゃくれない。だってそういう世代を映画館に引き戻したい訳ですから。来てくれても、ワンカットがえらく長かったりしたら、待っててくれないだろうと思いました。


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