関西発!オモロイ社長、オモロイ会社

2018年2月9日

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杉浦佳浩 (すぎうら・よしひろ)

代表世話人株式会社代表

三洋証券株式会社入社(昭和62年)。鹿児島支店にて勤務。地元中小企業、個人富裕層の開拓を実施。 日経平均最高値の2カ月前に退職。次に日本一給与が高いと噂の某電機メーカーに転職。埼玉県浦和にて、大手自動車メーカー、菓子メーカー、 部品メーカー等の主力工場を担当。 退職時は、職場全員から胴上げ。そして、某保険会社に20数年勤務後、平成26年末に退社。在社中は、営業職、マネジメント職を経験して、リテール営業推進、若手人財育成を中心に担当していた。 社外の活動も活発に行っていた。平成27年1月1日、代表世話人株式会社を設立。
同社代表取締役に就任。世話人業をスタート。

マンション一室から大学へ

 起業(2007年8月)は、自宅マンションだったそうで、資金は、創業メンバー2人の全額自己資金600万円でスタートしました。政府系の助成金を申請し、審査が良い具合に進んでいる矢先、「どこで研究開発しているの?」と問われたところ、「マンションの一室です」と、返答したため、助成金の拠出がストップしそうになり、会社設立からたった1カ月で消滅の危機に見舞われました。

 そのとき、後に共同創業者となる塚原保徳さんの所属する大阪大学との縁で実験室を借りることができたところから、なんとか乗り越えることになりました。ただ、その1年後に起こったリーマンショックの煽りを受け、資金集めには苦労しながらも、ベンチャーキャピタルや金融機関、政府系期間からの資金調達で2012年には本格的な事業化ができるようになりました。

 吉野さんは「人間なんとかなるものだなぁとしみじみ感じました」と笑顔で振り返ります。

ビジネスモデルの壁

 吉野さんのビジネスプランは次のようなものです。

 まず、マイクロ波を活用(いわゆる、家庭用電子レンジの技術を産業化に転用する)することで、今までの化学産業に対し、①省エネ、②高効率、③コンパクトを実現すること。

 マイクロ波については、過去から研究されてきました。ラボレベルでは面白い結果が出ていましたが、産業化するようなスケールアップすることは難しいと言われていました。

 そうしたなか考えたのが、当時注目されていたバイオディーゼルを、化学メーカーや食品メーカーなどの工場で出てくる廃油を原料として、製造するというものです。さらに、自社工場ではなく、廃油を出すメーカーの工場内で製造・販売しようと考えていました。企業体力から考えても自社で工場を作って製造販売することは難しいためです。

 国内のメーカーとのタイアップを模索しましたが、「マイクロ波って身体に悪いのでは?」、「よくわからないものをうちの工場に入れたくない」という反応から、目論見は外れました。

 そこで、販売でなく「マイクロ波を使ってどうやって作るか」という「作り方」自体を化学メーカーに販売するという、「マイクロ波技術のライセンスや共同事業」というモデルにたどり着きました。

1号ラインの壁 前例なきことに尻込する日本企業

 吉野さんをはじめ、シリコンバレーにいた方々に話を聞く中で、よくシリコンバレーでは「初物」に手が挙がり、日本では「実績」に手が挙がると聞きます。

 マイクロ波化学でも、最初の工場ラインを作る際に壁があったそうです。前述のビジネスモデルを固めて、吉野さんは「消費エネルギーは1/3、工場面積は1/5にできます」と営業をかけたそうです。

 ところが、「その技術をつかったプラント実績は?」と問われ、「御社が第1号です」と答えるたびに全てがストップしていったそうです。いくら自社の技術に自信、実力があると思っても、立ちはだかる「前例なきものは採用できない」。

 ここを打ち破るために、プランを見直し、自社での単独工場設立に踏み切ります。これは技術系ベンチャーは、研究開発だけやったほうが上手くいくという言わば、常識を打ち破った瞬間であり大きな決断でした。

 2014年には大阪工場が竣工し、自社での製造・開発が可能になりました。

世界的企業や大手化学メーカーとの共同開発もスタート

 自社の生産設備を有した工場、その隣にマイクロ波を用いた試作棟も稼働し始めると、「本当にマイクロ波を使ってモノづくりをしている」という話が、化学業界に広まり始め、多方面の企業から問い合わせが入ってたそうです。

 そして、世界最大の化学メーカのドイツのBASF社とポリマー製造工程におけるマイクロ波技術を用いた製造プロセスを活用した共同開発契約の締結に至ります。その後も太陽化学、三井化学、三井金属、フタムラ化学、など国内外の化学メーカー企業とも業務提携、資本提携が進んでいます。

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