田部康喜のTV読本

2018年2月8日

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田部康喜 (たべ・こうき)

東日本国際大学客員教授

福島県会津若松市生まれ。幼少時代から大学卒業まで、仙台市で暮らす。朝日新聞記者、朝日ジャーナル編集部員、論説委員などを経て、ソフトバンク広報室長に就任。社内ベンチャーで電子配信会社を設立、取締役会長。2012年春に独立、シンクタンク代表。2015年10月から東日本国際大学客員教授として地域振興政策を研究、同大・地域振興戦略研究所副所長を兼務。

 赤報隊による事件は続く。1987年9月には朝日新聞名古屋本社の従業員社宅が散弾銃の襲撃を受けた。その時は無人だったために人身に対する被害はなかった。翌年3月には、静岡支局に時限爆弾が仕掛けられる。発火装置の不備で爆発はまぬがれた。

 同月の消印で、中曽根康弘・前総理と竹下登総理のもとに靖国神社を公式参拝しなければ殺すという趣旨の脅迫状が届いた。90年5月には名古屋の愛知韓国人会館が放火された。

 阪神支局事件後、朝日新聞は支局の扉を午後10時に閉じること、社旗や看板を外すことも指示した。樋田記者(草彅)は憤りを上司にぶつける。

 「先輩に聞いたことだが、テロに対抗するには、テロの前後で態度を変えないことだ。社旗を下すのはテロに屈することになる」と。

 「特命取材班」は、右翼とある宗教団体に注目するようになる。この宗教団体は、各地に銃砲店を経営し、信者たちが共同生活をする施設ももっていた。

 右翼団体と宗教団体の双方にからんでいる人物が浮上する。彼は元自衛官でアフリカの紛争地で外人部隊に所属した経歴の持ち主でもあった。右翼の街宣活動をやっていたその人物に、樋田記者らは迫る。しかし、逃走されてしまう。

「小尻君を打ち抜いた銃弾は、
自由を求める我々にも向けられたのです」

 「赤報隊事件」は、阪神支局事件が2002年5月3日に時効を迎えた。その半年前に、社会部デスクとなった樋田記者のもとに匿名の電話があり、一度は迫って逃げられた元自衛官こそ犯人である、との情報がもたらされた。さらに、右翼団体の関係者からも同様の証言を得る。しかし、元自衛官はすでに自殺していた。

 ドキュメンタリーにおいて、NHKの取材班もこの宗教団体に注目した。元幹部が取材に応じて、当時のメモをみながら団体が朝日新聞に対して反感を持っていたことを証言した。団体がやっていた商行為を詐欺行為、と朝日新聞が批判していたからだという。

 兵庫県警の元捜査官の証言は、この団体を1カ月ほど捜査した段階で、上司からその中止を命じられた、と証言する。最終的には容疑が明らかにならなかった。

 樋田記者(草彅)はテロを容認する右翼の幹部に対して、次のように迫る。

 「小尻君を打ち抜いた銃弾は、自由を求める我々にも向けられたのです」

 NHKの取材班は、捜査の機密資料を分析するとともに関係者の取材から、捜査線上に浮かび上がった9人に接触した。犯人の特定には至らなかったが、一水会の元最高顧問の鈴木邦男氏の証言は衝撃だった。

 「犯人あるいは犯人とおぼしき人物が会いに来た」というのである。

 鈴木氏は信義を理由として、犯人の姓名は明らかにしなかった。

 実録ドラマの最後に、樋田記者本人が登場して、こう訴えた。

 「犯人を追い続ける。このまま闇に消え去るのは卑怯な行為だ。我々の前でなぜ犯行に及んだのか語って欲しい」
 

  
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