2024年4月26日(金)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2011年1月7日

 実際このスローガンの起源が、中国共産党中央党校校長・鄭必堅が2003年に海南島で開催された「博鰲(ボアオ)アジアフォーラム」で表明した「和平崛起」という文言に由来することからして、中国外交の言行不一致は明らかであった。「和平」とは勿論、現実の中国の《富強》のために平和的な環境の持続を必要とするという趣旨である。しかし、それ以上に重点が置かれていたのは《崛起》という表現である。《崛起》とは決して「台頭」のように「事実として頭角を現す」というものではない。なかば強引に、アグレッシブに存在感を主張し、周囲を圧倒するかのような含意をはらむ言葉である。そこで筆者は、2004年に北京で開かれた国際シンポジウム(愛知大学と中国人民大学の共催)にて、如何にも自信ありげに「中国は平和的に崛起するので諸外国は心配に及ばない」と語っていた中国側出席者に対し、悪化する日中関係をも念頭に、「《崛起》の語感と平和は矛盾するのではないか?」と釘を刺したものであるが、果たせるかな、その後中国の専門家集団内部でも「崛起という表現が早晩中国脅威論を呼び起こすことになるので好ましくない」という懸念を呼び、正式な政策として掲げられた時点では《崛起》が、より中立的な表現である「台頭」「発展」に変わった。

崛起の結果、何が起こったのか?

 とはいえ、その後の政策や反応に現れる中国共産党・政府の意図が《崛起》でないことを示すものは見当たらない。そしてついにGDP世界2位が視野に入り、リーマン・ショック後の高度成長の持続が欧米日と余りにも対照的なものとなっただけでなく、諸国が先を競って「成長の余地が大きい中国市場」への参入を強めた結果、ついに中国は《崛起》を目指す自らの自画像を「韜光養晦」する必要がなくなった、と判断するに至ったのだろうか。昨年の中国は誠になりふり構わない力の外交・経済に転じ、日本は繰り返しその矢面に立たされることになったと言えよう。

 《崛起》の結果、中国共産党・政府が敢えて国際的に攻撃的な立場を明確にしたことを象徴する事件として、劉暁波氏へのノーベル平和賞授与をめぐる一連の混乱は長く記憶されるべきであろう。中国は単に国内にいる「08憲章」署名者の平和賞代理出席を阻止したのみならず、「中国との友好協力関係を維持するのか? 西側の偏った了見に固執するのか?」という二者択一を迫るかの如く、各国の外交官が授賞式に出席するのを阻止しようとした。

 さらに中国は、「中国の特色ある価値観に則して平和を宣揚する」という目的で「孔子平和賞」が創設した。しかし、受賞者が台湾・中国国民党の連戦・元副総統であったほか、候補者に「パンチェン・ラマ11世」が挙げられていたあたり、この「平和賞」なるものは「祖国中華の統一」に忠実な人物に論功行賞を行おうとする内輪の祝祭に過ぎないことを物語っている。

 パンチェン・ラマとは、チベット仏教の最大宗派であるゲルク派(黄帽派)でダライ・ラマに次ぐ高位の活仏であり、本来チベット仏教徒からの厚い信仰心を集める存在である。しかし、先代の10世が中国共産党との様々な軋轢の末に1989年に没したのち、中国はダライ・ラマ14世が指名した11世・チューキニマ少年を幽閉し(世界最年少の政治犯と言っても良い)、別のゲンツェンノルブ少年を「11世」に指名して今日に至っている。中国は「11世」を「愛国の活仏」として宣揚し、彼への忠誠心をチベット人に誓わせることに余念がないが、そもそも唯物史観の立場から宗教に対して否定的で、共産党員の信仰行為を禁じている中国共産党政権が宗教指導者を擁立するという行為自体、彼らが主張する政教分離の趣旨に大いに悖(もと)る。しかも、現実理性を尊ぶ儒学思想をめぐっては、世俗を超越し輪廻と解脱を語る仏教を嫌悪し弾圧してきた歴史を抜きに語れない。そのような儒学の創始者である孔丘の尊称を冠した「平和賞」を、無神論者が選んだ「活仏」に贈るなどという壮絶な飛躍があり得るとは、筆者自身も予想だにしなかった「21世紀の神秘」ですらある。

 したがって、江沢民直々に指名式に臨んだ「11世」の正当性を信じるチベット仏教徒がいるとはとても思えない中、そのような「11世」に「平和賞」の箔を付けようすること自体、この賞が本質的に皇帝=共産党総書記を中心とする冊封体制の現代版であることを物語っており、それもまた中国のなりふり構わない「崛起」の発露である。


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