定年バックパッカー海外放浪記

2018年3月4日

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高野凌 (たかの りょう)

定年バックパッカー

1953年生まれの62歳。横浜生まれ、神奈川県出身。大学卒業後は商社、メーカー勤務を経て2013年定年退職。2014年春から海外放浪生活を始める。放浪歴は地中海、韓国、インドシナ半島、インドネシア、サンチアゴ巡礼など。サラリーマン時代は主として海外業務に従事。ニューヨーク、テヘラン、北京にて海外駐在を経験。身長170センチ、57キロ。獅子座。A型。現在2人のご子息は独立し、夫人との2人暮らし。孫1人。

レオン氏の父親は逆賊として刑務所へ

 レオン氏のお父さんは、戦時中に抗日ゲリラ容疑者として日本軍憲兵に逮捕され、9カ月間刑務所に収容された。刑務所は現在の国立モスクの敷地にあった。日本軍は抗日ゲリラを毎日のように処刑していたので、レオン少年は父親がいつ処刑されるか心配で夜も眠れなかったという。
抗日ゲリラについては、KK中華総商会(華僑商工会議所)が編纂した小中学校の副読本“神山遊撃義士隊”に詳述されている。1943年10月9日にKKの華僑有志青年達がマレー系諸族を糾合して抗日ゲリラ蜂起。

レオン氏の父君が収容されていた日本軍刑務所跡地に建つサバ州立モスク

 深夜から翌明け方までに駐在所や日系企業など数か所を夜襲して数十人の官民日本人を殺戮したが、日本軍が組織した討伐隊により抗日蜂起は数日で鎮圧された。

 討伐隊はジェッセルトン・ホテルに討伐本部を設置。レオン氏によると当時のジェッセルトン・ホテルは現在の警察署の敷地にあったという。副読本の写真を見ると、木造二階建ての瀟洒なコロニアル風の建物である。

苛烈なゲリラ掃討作戦

中国からの観光客と邦人のオジサン。現在のKKは中国本土から多数の観光客が訪れチャイナタウンは活況を呈している

 蜂起した抗日ゲリラは数日でジャングルに逃げてしまった。その後出身地の部落に逃げ帰ったり、近くの島嶼に逃亡。そのため、討伐隊は華僑や近隣部族の若者を容疑者として片っ端から拘束して尋問(拷問)。部落や島では包囲して、少しでも抵抗したり逃げようとすれば、機銃掃射して無辜の住民が多数殺害された。華僑及び諸部族で処刑されたもの400人超を含めて1000人以上が犠牲となったという。

レオン氏の戦後と海南島への帰郷

 日本軍撤退後、第一国民学校は中華学校に戻った。1945年中華中学校を卒業したレオン少年は聖心英校(Sacred Heart English School)に入学。1963年、32歳の時に現在の奥様と結婚。1973年には父親から“悦昌”の経営を受け継いだ。

 現在は家督を長男に譲り悠々自適(悠悠自在)の日々である。1980年代と1995年頃の2回、レオン氏は祖父の出身地海南省文昌県(嘉積市中原鎮上邑村)に帰郷した。

 大叔父は成功して村に学校の校舎を寄付した。現在でも校舎は使用されており村人に感謝されているという。レオン氏の父親までの代は海南島の村の一族の墓に眠っている。レオン氏自身はKK郊外の華僑団体が運営している公園墓地を買った。“落地生根”であろうか。

 現在の一番の楽しみは、毎朝お店に出て近所の友人とおしゃべりしながらミルクコーヒーを飲むことだという。レオン氏の長寿を祈念して“悦昌”を辞した。

⇒第8回に続く

  
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