障害者アスリート~越えてきた壁の数だけ強くなれた

2018年3月19日

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「絶対に負けられない」仲間であり、ライバルでもある

(提供:フォトサービスワン)

 中学1年生からジュニア育成合宿に選出されている仲間たちとの絆は強い。同時にお互いに認め合いながらも、競い合ってきた強力なライバルでもある。ポジション争いはし烈だ。

 「他のメンバーにできることは自分もできなければ気が済みません。それぞれ仲も良いのですが、絶対に負けられないと最初からライバル関係を意識していました」

 「まぐれで選ばれたなんて思われたくない」

 「次に会った時は圧倒的な差をつけてやる」

 そんな思いに突き動かされた。

 古澤は練習が好きだ。できないことができるようになることが何よりも嬉しく、誰よりも多く練習し、誰よりも上手くなりたいと思っていた。

 「はじめてU23日本代表として国際試合に出場したのは、U23世界選手権の強化期間中に行われた親善試合で高校2年生でした。ジャパンのユニフォームやウェアが着られることが嬉しかったのですが、メンバー12名に選ばれただけでは満足できません。コートの5名に選ばれて、その中でも主力になりたいと思っていました」

 「バスケに関しては負けず嫌いなので、いつも自分が、自分がという性格です」

 だが、コートを離れればそれほど自分を押し出す性格ではない。学校内ではバスケット部の友人以外に自分がU23日本代表に選ばれたことを言わなかった。こうしたことは自分から口にすべきことではないし、言い出すのはカッコ悪いように思えたからだ。

 コート以外で自己アピールするよりも「さらに上を」という意識が強く練習することで頭がいっぱいだった。高校生ながらU23では満足できなかったのである。

 最初の国際大会(公式戦)は2013年に行われたU23世界選手権予選のアジア・オセアニア予選。結果はイラン、オーストラリアに次ぐ3位で、その後、日本代表候補にも選出されるようになった。順調に日本代表への階段を駆け上がるかに見えていたが、頂への道のりは険しいものだった。

 ここで古澤拓也の競技人生最大のターニングポイントが訪れる。

ライバルの活躍、倍の練習を決意

 2014年、古澤は日本代表強化指定選考合宿に呼ばれたが24名の強化指定枠の選に漏れ、翌2015年は強化指定選手には選ばれながらも最終的な日本代表12名に選出されることはなかった。

 「それなのに歳下の鳥海連志(ちょうかい れんし)はU23日本代表にも選ばれていないのに日本代表に選ばれてしまったのです。このショックは大きくて、これまで僕が築き上げてきたものが全て壊れてしまったように感じました」

 鳥海連志選手とは、2015年に車いすバスケットボール史上最年少で日本代表入りを果たし2016年のリオ・パラリンピックに出場した日本代表メンバーである。

 その鳥海の日本代表入りが古澤を変えた。

 「リオ・パラリンピックの予選を見に行ったのですが、めちゃくちゃ悔しい思いをしました。連志は2歳年下です。それまではまったく意識していなかったのですが、急に立場が変わってしまいました。上とか下とか、そういう考えはしたくありませんが連志は日本代表ですから上になってしまったのです。僕らU23からは日本代表に選ばれていなかったので、連志ひとりが抜け出した感じでした」

 古澤は「連志が選ばれ、自分が選ばれなかった」この出来事を競技人生最大のターニングポイントに挙げている。

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