赤坂英一の野球丸

2018年3月14日

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 今年55歳の私と同世代のスポーツ・アナウンサーには、「小さいころからラジオのプロ野球中継で実況をするのが夢だった」と言う人が少なくない。まだテレビのナイター中継が地上波だけで、夜9時前までで打ち切りになっていた昭和40~50(1960~70)年代、私たちはかじりつくようにラジオの中継に聴き入った。そんな子供たちの一部が「野球中継はテレビよりもラジオのほうが面白い。中身が詳しく、聴き応えも違う」と感じるようになり、大学の放送研究会やアナウンサー養成学校に入って、本格的にラジオの実況アナを目指したのだ。

(ipopba/iStock)

 私より何歳か若い某アナは、プロ野球中継を放送していない地方の放送局に就職せざるを得なかった。そこで春と秋に週末のたびに上京し、東京六大学リーグ戦が行われている内野スタンドに腰を据え、ひとりで目の前の試合を実況し、カセット・テープレコーダーに吹き込んだ。そのテープを東京の放送局に持参し、伝手を頼って知り合った先輩アナに何度も聞いてもらって、ついに本物のラジオの実況アナに転身することに成功した。1980年代後半から90年代初期、つまり年号が昭和から平成に変わったばかりのころには、そういう熱心なアナもいたのである。

 一方で、プロ野球中継を任されないまま、放送局で粛々と勤め上げ、アナウンス部長に出世した途端、激しい後悔の念に駆られた、というアナもいる。「10試合でも5試合でも、いや1試合でもいい。いつかは一回から九回まで実況するのが目標だったのに、部長になったらもうできないでしょう。そうかと言って、女房、子供がいるから、部長の肩書を捨ててフリーになるわけにもいかないしねえ」と嘆いていたものだ。

 長嶋茂雄が監督だったころは、東京ドームでの巨人戦を複数のラジオが中継していた。TBS、ニッポン放送、ラジオ日本などが看板アナと人気解説者を投入して聴取率を競い、ファンはもちろん、記者席にいる私たちも、試合中にチャンネルを変えながら聴き比べをしていたものだ。

 しかし、2000年代に入ってテレビ視聴率が低迷し、系列の日本テレビも巨人戦を滅多に地上波で放送しなくなるにつれて、ラジオも次第にプロ野球中継からフェードアウトしてゆく。まず土日のデーゲームから各局が撤退、次いでニッポン放送が巨人戦を減らし、今年はとうとうTBSがプロ野球中継を全面的にやめてしまった。デフレ不況のあおりでスポンサーが次々に降りる一方、番組の柱だった巨人戦の中継権料は好況時の1試合200万円以上に据え置かれたまま。放送席の使用料や解説者のギャラなど、経費ばかりがかさんで赤字続きだったことが最大の原因である。

 加えて、ここ数年、インターネット中継が急速に発達。パシフィックリーグマーケティング株式会社が運営する動画配信サービス『パ・リーグTV』でパ6試合が見られるのに加えて、今シーズンからスポーツ動画配信サービス大手のDAZN(ダゾーン)が巨人を除く11球団の主催試合のネット中継を開始する。ラジオにかじりつくしかなかった私の若いころとは違い、スマホもパソコンもある現代の野球ファンがこちらに目を向けるのは当然。実際、中学や高校の球児を取材すると、「プロ野球なら動画で見てます」と言われることが増えている。時代の流れだ。

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