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2011年2月7日

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 「その時、メーカーの部長さんが『既に、新しいステレオを出すと記者発表していて、その期限まで1カ月ありません。これが完成しないと、部下と家族が路頭に迷うことになる。力を貸してください』とおっしゃいました。言葉のやりとりで私が椅子を蹴ってしまったら、困る人がいるのですから、放っておけません」

 清田は自分が引き取ると申し出た。3日間徹夜して図面の欠陥を見つけ、金型を作り直して部品を納め、そのステレオは期限に間に合った。後日、メーカーの社員が書面を持って清田のもとを訪れた。「今後5年間、当社はこの部品の値下げ要求をしません」と記されていた。

写真:田渕睦深

 プローブの開発も、商社が清田に「こんなものができないか」と、外国製のプローブを持ち込んだことが端緒だった。当時の日本では不可能とされた精度だったが、清田は試作を引き受けた。最初の試作品は70万円の赤字、その後も返品されるなど、清田の持ち出しが続いた。

 「『日本の一流企業が挑戦したけれど作れなかった』と聞きました。経済摩擦を起こしてその国からプローブが入ってこなくなったら、日本の半導体は全滅してしまいます。だから国産でできたほうがいい、私ができるものなら作って、貢献しなければいけないと考えました」

 それから6年かけて清田は、英国人技術者のフェルにしか作れなかった四探針プローブを完成させた。当時、清田は工場の2階を住居にしており、3時間ほど眠っては1階に降りて電子顕微鏡を覗く日々のなかで、フェルとはまったく異なる製造法を着想し、同等の精度で信頼性が3倍という世界唯一のプローブを開発したのだ。その仕事ぶりは、長女が学校の作文で「親が寝ているのを見たことがない」と書くほど。お金の計算はあえてせず、いずれ評価される時が来る、まずは自分がやるべきことをやるという生き方が、清田には徹底している。

崖をよじ登ってでも世のために尽くせ

 言った言わないの場面での優位、目先の利益。そんなものに清田は関心がない。一歩退いて自分で背負い込む道をあえて選んでいるかのようだが、「結果としては、そうなっています」と言うから、意識しているわけでもなさそうだ。

 自然とそうなるのは、一つには素直な性格があるのだろう。清田の「負けるが勝ち」は、まず相手の話を受け止めるところから始まる。「私が持ち合わせていないことをしゃべってくださるわけですから、勉強になります」と言うのは謙遜だけではなく、実際、清田がプローブの開発に踏み切った根底には、レコードが衰退するなかで、新聞のみならず出会った人の話を通じて「これからはICの時代だ」と感じていたことがあった。相手の話を素直に聞き、自分でやってみることが好循環を生んできたのだ。

 では清田は、どんな時も一歩下がって受け止めるのかというと、そうではない。

 「あるメーカーから『当社の金型で半導体の部品を作ってくれ』と言われましたが、お断りしました。『1回で何百万個も出ますよ』と、ポンとお金を積まれた感じでしたが、他ではできないものを作るのが私の仕事ですから」

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