2024年4月20日(土)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2011年2月10日

 カルマパ少年と両親には“中国周遊の旅”がプレゼントされ、上海では、「おもちゃ買い放題」のオプションまで付けられた。その後は、江沢民国家主席が直々に面会。主席は、

 「一生懸命勉強して、“チベットのために”役立つ人物になってほしい」

 と、のたまわったと伝えられた。

 ところが、14歳に成長したカルマパ17世は、突如チベット本土を脱出しインドへ亡命したのである。折しも、世界が新ミレニアム到来に沸いていた、1999年12月末から新年に代わるタイミングであった。

 このカルマパ亡命は、日本ではほとんど騒がれなかったが、欧米メディアは相当エキサイトしてこれを伝え、世界のチベット・サポーターを感動の渦に巻き込んだ。

中国がカルマパを厚遇するのはなぜ?

 中国政府の狙いは明々白々だった。転生ラマを中国共産党の代弁者に育て上げ、頑固に抵抗を続けるチベット人懐柔の道具に使おうと考えていたのだ。

 中国当局は、よもや、“厚遇”しているカルマパ17世が、命懸けでチベットを出奔するなどとは想像していなかったはずである。

 世界のメディアが「カルマパ17世インドへ亡命か?」と騒ぎ出すと中国政府は亡命説を否定。「17世は旅に出ている。儀式に必要な道具を買うためインドへ出かけた」とオトボケ返答をし、同時に、当然のごとく、厳しい捜査を開始、僧侶を大勢逮捕した。

 当時の首相、朱鎔基は次のようにコメントしている。

 「党の宗教政策を貫徹し、社会と政治の安定維持に努めなければならない」

 中国共産党の論理でチベット仏教を支配・管理していくと断言したのである。

 余談だが、朱は、日本の政財界に多くの「朋友」をもち、日本人から多くを学んだと公言していた人だ。その日本人のなかに、朱の宗教への無理解を諫めた人が皆無だったことは甚だ残念である。

 その後、カルマパ17世は、チベット亡命政府の本拠地でダライ・ラマ14世法王が住む、ダラム・サラで、高僧、老僧らの薫陶を一身に受け、25歳(当時)の青年ラマに成長した。ただし、この間、一貫して彼は、インド政府の厳重な身辺警護下にあった。

 近年の「カルマパ人気」は何しろスゴイ。

 ダラム・サラを訪れると、「カルマパの熱心な『追っかけ』の欧米女性が大勢来ている」とか、台湾マダムが大挙してカルマパ詣でをし、若きイケメン・ラマのご尊顔を拝して涙した等々。「カルマパ神話」は山ほど聞こえてきた。

 近年、欧米各国でのチベット仏教寺院新築プロジェクトで目立って多いのが、カギュ派の寺院だとか。つまり、建造費を出そうという大口寄進者が多いことを意味するが、これもひとえに、カルマパ17世への期待の表われだという。


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