日本を味わう!駅弁風土記

2011年2月17日

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福岡健一 (ふくおか・けんいち)

ウェブサイト「駅弁資料館」館長

日本全国と海外の駅弁を紹介するウェブサイト「駅弁資料館」館長。2001年からこれを個人で運営、無予約非取材を原則に全国各地をめぐり、年間約400個の駅弁を食べる。「時刻表博士」でもある。

 竹の中からおじいさんに見つけられた、小さくかわいらしい女の子。大きくなると美しく光り輝く絶世の美女となり、多くの男性が結婚したいと考える憧れの存在になった。求婚にとりわけ熱心であった5人の貴公子に対して、おじいさんが結婚の条件として難題を課したり、心をつかまれた帝(みかど)が文通をしたり。しかしこの女性「かぐや姫」は、実は月の都の人であった。満月の夜、大軍をものともせず、育ての両親や求婚者と帝に悲しまれながら、天人の迎えと共に月へと帰っていく。

 「竹取物語」は、日本国内で育った方々にとって、とてもなじみの深いお話であろう。小さい頃には童話として、絵本やマンガやテレビで、あるいは教科書での読み物として親しむ。成長すると古文や古典の教材として、学校の試験対策に苦しむ。大きくなっても我々は月へは帰らないが、大人になると原典や訳本での書物として、または映像作品として、その世界観の広さと深さに驚かされることになる。残念ながら原典が残っておらず、作者や成立年は分かっていないそうだが、この物語は少なくとも平安時代には成立していたことが記録でうかがえる、日本最古の物語作品とされる。

 かぐや姫が月へと帰った後にも、物語は続く。姫がいなくなり悲しんだ帝は、姫の形見として受け取った不死の薬と手紙を、駿河の国にあるという天に最も近い山で焼いてしまうよう命じた。そこで、大勢の士(つわもの)がその山に登り、これらを燃やした。雲の中に煙が立ち昇るその山は、士に富む山、つまり富士の山と名付けられたそうな。

 これにより、静岡県富士市は竹取物語の発祥の地を名乗る。出典が分からない物語であるから、他にも発祥の地はいくつかある。静岡県内で孟宗竹(モウソウチク)が茶畑に侵入して問題となっているのは近年の話であるが、ここは竹が生育し、太平洋の駿河湾に面して海と月がよく見え、縄文時代かそれ以前から人が生活していた土地である。この地で1200年以上の時を刻む文学作品が生まれたと言われれば、そう信じられる気がする。

全国屈指の「かわいらしい」駅弁

 日本国有鉄道の分割民営化によりJRグループの各社が誕生して、半年を過ぎた頃の1987(昭和62)年11月、静岡県富士市の鉄道の玄関口である東海道本線の富士駅で、小さくかわいらしい駅弁が誕生した。かわいらしさでは今でも全国で屈指の駅弁だと思う、「竹取物語」である。1988(昭和63)年3月に、東海道新幹線の三島~静岡間で新富士駅が開業した際には、この駅の駅弁にもなっている。

 不死の薬が入っていたかもしれないような竹製のかごを、割竹の中でちょっとうつむき加減な、小さくかわいらしい女の子を描いた掛紙で包む。ふたを取ればタケノコ、ホタテ、クリ、サクラエビ、キンメダイなどの、これまた小さくかわいらしいおかずが現れる。その下には、ゆで落花生が入ったおこわが敷き詰められている。

新富士駅の「竹取物語」 1,000円(富陽軒)

 一言で表現すれば、釜飯風駅弁となろう。多くの駅弁に入るタケノコ煮も、ここでは物語に欠かせないアイテムだと感心する。サクラエビは基本的に駿河湾沿いの駅弁でしか見られない、食感と香りがたまらない小さな海の味。その横に添えられる黄色いクリは、釜飯風駅弁には欠かせない具材であり、ここでは駿河湾に浮かぶお月様にも見える。富士市の名物であるゆで落花生を混ぜ込んだごはんの独特の風味がまた、おかずの味を引き立てる。

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