WEDGE REPORT

2018年4月20日

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来月、東ティモールで総選挙が行われる。2002年に東ティモールを独立に導き、2015年まで首相を務めたシャナナ・グスマン氏。一方、南アフリカを解放に導いたネルソン・マンデラ元大統領。この二人の類い稀な指導者に共通するのは、国民に「赦しと和解」を求めたことである。だが、そのアプローチの方法は異なるものであったと筆者は指摘する。今もなお紛争の絶えないこの世界で、二人の巨人から私たちが学ぶべきものは何だろうか。(⇒前篇から読む

東ティモールを独立に導いたシャナナ・グスマン元首相(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

 インドネシア軍の牢獄は地獄である。首都ディリに今も残る牢獄跡を訪ねたことがあるが、畳一畳ほどのスペースに10人、否、20人もがすし詰めになっていた。命からがらそこから脱した生存者はそう証言する。しかし、その状態では横になって眠ることもできない。いや、床に座ることさえできない。東ティモールは熱帯で、昼は50度にまでなる。しかも牢獄に窓はない。鉄の扉を閉めれば密封になり、空気の換気はない。

 そういう中、何人もが命を落としていった。ディリの牢獄の壁に、そうやって何年も獄中生活を送った人々の心の叫びが爪でけずりとられて刻印されている。一部は壁に血でなぞられ、べっとりとした不気味な痕跡を残す。そうせざるを得なかった囚人たちの叫びの声である。

 そういう部屋が4つ5つ、横並びに並ぶ。その向かいに一室、下半分だけ扉がついた小さな部屋がある。他と違い異様な雰囲気である。それは電気ショックの部屋。行いの悪い受刑者を向かい側から引きずり出し、こちらの小部屋に放り込み、腰まで水を入れてから電気を流した。受刑者は感電し気を失う。その間わずか数秒。

東ティモールの独立、その後の悲劇

 グスマンがいたインドネシア本島の監獄はもっとずっとましだったようだ。グスマンは、支援者が密かに差し入れたパソコンを使い外部と交信していた。

 そういう生活を24年送った後、グスマンは釈放され東ティモール独立を宣言する。その時グスマンが掲げたのが、やはり「国民の統合」だった。東ティモールには南アフリカと違い民族問題はない。誰もが同じ東ティモール人だ。しかしこの同じ東ティモール人が、敵味方に分かれ内戦を戦った。同じ東ティモール人同士が、身内を殺し、隣家を焼き払った。実はここに東ティモールの悲劇がある。

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