東京家族風景

2018年4月27日

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夕日を浴びながら音楽を聴く参加者たち

Shiba:15年も続けていると5歳の時に大人に混じって初めて踊った子が成人しています。大人と同じフロアで一緒に踊る経験は大事だと思っています。例えばお祭りは大人と子どもが混ざる場所で地域のコミュニティーです。ただ、町から祭りが消えて、そういう場が失われていますが、フリサンは夏祭りに変わるものでもあるんです。

 先日、常連のお客様からフリサンでダンスデビューした息子さんが、フリサンがきっかけでプロのダンサーになったという話を聞きました。フリサンが地域カルチャーとして根付いてきたと感じています。

田永:これだけ聞くと順風満帆なフリサンですが、やはり1000人規模のパーティーを切り盛りするのは、大変なのでしょうか。

Shiba:道のりは平坦ではありませんでした。知らない人も多いのですが、2000年代初頭の江の島は今のような人気観光地ではなく、若者や外国人観光客が大挙して訪れるような場所ではありませんでした。初回のフリサンの集客は50人だけ、当然赤字です。SNSなどを駆使して来場者を増やして来たもの、当時のパーティーシーンは、その場が楽しければ良いという来場者も多く、泥酔者や上裸で荒れた参加者の対応で、イベントの存続が危ぶまれたことが何回もあります。オーガナイザーの私がイベントを楽しめる余裕は全くありませんでした。

 それでもなんとか、続けて来れたのは、来場者の笑顔と、このコミュニティを残していきたいという使命感を強く感じたためです。それに、サポートスタッフの存在も大きかったと思います。

haraguchic:私はフリサンには最初はお客さんとして遊びに行っていましたが、海外からのゲストDJを呼んだ自主イベントでフリサンとコラボしたことをきっかけに、2013年からフリサンのアーティストブッキング、オーガナイズサポートをしています。フリサンは企業がスポンサーにつく地域イベントという性格上、イベントを存続させるために、長い時間をかけて、クリーンに、そしてソーシャルなものに進化してきました。最近、小箱のクラブの摘発が相次ぎ、心を痛めていますが、風営法改正後、パーティーシーンにも規制強化の波がやって来ているのは事実です。そのような時代に、フリサンは持続可能なクリーンでソーシャルなイベントのトップランナーとして、今後さらに注目を浴びることになっていくと思います。

田永:私も昔、通っていた小箱のクラブの状況は心配です。法律なので従わないといけないのでしょうが、摘発ということだけをもって、音楽やコミュニティを大事にして来た関係者の想いを全否定して欲しくないと思っていました。

haraguchic:それは関係者全員が同じ想いだと思います。規制にどう対応するか模索している中での出来事でした。

 小箱のイベントで忘れられないのは、2011年3月11日の震災からしばらくして青山蜂で行なったイベントです。まだ世の中が自粛モードでしたが、東北に限らず首都圏にも辛い気持ちを抱えている人も多く、パーティーだから出来る、肩書きや所属に関係なく人が集まる暖かい場を作ろうと開催をしました。多くの人が声をかけ合い、 近況を確かめ、 互いを励まし合っている姿を見て、私も救われた気分になりました。パーティーコミュニティは人を癒す力を持っています。ただ、昔を懐かしむだけでは前には進めません。青山蜂も摘発後、深夜営業をやめ、営業時間を大幅に短縮するなど、規制に適応した形で再オープンを果たしていますし、小箱やバーの経営者達も業界団体を立ち上げるなどして、この状況に対して動き出しています。パーティーシーン全体が進化する時期に差し掛かっていると思います。

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