赤坂英一の野球丸

2018年5月9日

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 今週末の13日に初日を迎える夏場所、優勝候補の本命は白鵬だろう。昨年、日馬富士の引退にまで発展した貴ノ岩への暴行事件で、現場の飲食店に立ち会っていたことが発覚。さらに、張り差しやかち上げの多い取り口に横審やファンから批判が寄せられ、すっかり〝悪役〟のイメージが定着してしまった。

(c11yg/iStock)

 今年に入ってからも、両足親指のケガで1月の初場所、3月の春場所と横綱に昇進してから初めて2場所連続休場するなど、最近は著しく精彩を欠いていた。が、今場所の白鵬には、是が非でも優勝したい大きなモチベーションがある。

 そのひとつが、4月9日に尊敬する父ジグジトゥ・ムンフバトさんが76歳で亡くなったことだ。ムンフバトさんは元モンゴル相撲の横綱で、男子レスリングの選手として1968年メキシコシティー五輪に出場。フリースタイル86㎏級で銀メダルを獲得し、モンゴル初のオリンピック・メダリストとなった。

 それから17年後の1985年3月11日に白鵬が生まれると、ムンフバトさんは白鵬がまだ幼いころ(当時はムンフバト・ダヴァジャルガル少年)、金メダルを獲れなかった悔しさを切々と語って聞かせた。9年前、白鵬は私のインタビューにこう明かしている。

 「メキシコで金メダルを獲ったのはロシア(当時ソ連)の選手で、私の親父さんの前にすべての試合を終えていました。親父さんは最後にアメリカの選手と試合をして、これに押さえ(フォール)勝ちをしたら、ポイントでロシアを上回って金を獲れるはずだったんです。だけど、親父さんはその押さえ勝ちができず、ポイントでロシアよりも下になってしまった。それで、試合はアメリカに勝ったのに金が獲れなくて、銀までだったわけですよ。昔はそういうルールだったんだね」

 この話、実際には白鵬はポイントの数まで挙げて詳しく説明してくれた。煩雑でわかりにくいため、残念ながら本稿では割愛せざるを得ないが、ムンフバトさんの感じた悔しさがいかに深く白鵬の記憶に刻みつけられたか、インタビューした私にもひしひしと伝わってきた。

 当時、ムンフバトさんは「自分の代わりにオリンピックで金メダルを獲ってほしい」と、息子の白鵬に期待をかけていたそうだ。が、白鵬自身は、「五輪の金メダリストは何百人いるかわからないくらいだけど、相撲の横綱はもっと少なくて貴重な存在だ(白鵬で69人目)。おれはその横綱を目指したいから」と、15歳で日本に渡って角界入りしたという経緯がある。

 当初は白鵬を引き取ってくれる相撲部屋がなく、いったん諦めた白鵬は日本から母国のムンフバトさんに電話し、「これからはレスリングをやります」と話している。ここで宮城野部屋が白鵬に手を差し伸べなかったら、白鵬はいまごろ五輪の金メダリストになっていたかもしれない。

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