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2018年5月15日

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アイルランド出身選手が最後に米メジャーリーグで野球の試合に出場したのは、第2次世界大戦がまもなく終わろうとしている時だった。 北アイルランド・ベルファスト出身の選手が7日、その歴史を変え、かつての米国とアイルランドとの長い関係の記憶をも呼び起こした。作家のパトリック・レッドモンド氏が寄稿した。

それは7日、平凡な野球の夜になるはずのシンシナティ(オハイオ州)でだった。ニューヨーク・メッツがシンシナティ・レッズと対戦するため、町にやってきた。そして、24歳左腕投手のデビューは、いつもならそんな日常を注目に値するものにすることはなかっただろう。

この新人、ベルファスト出身のパトリック・ジョシュア・"PJ"・コンロンは歴史を作った。73年ぶり、21世紀初、過去100年間でもわずか2人目となるアイルランド出身のメジャーリーグ出場野球選手となったのだ。

ジョー・クリアリー以来のアイルランド出身メジャーリーガーとなったコンロンは、シンシナティのグレート・アメリカン・ボール・パークの半分を埋めた観客に歓迎されるなか、恍惚の時を過ごした。

試合で3回あまりを投げ終わった後、「これにはたくさんの意味がある」とコンロンはMLB.comに語った。

「観客席にアイルランド国旗を持った人たちがいるのを見ることができた。彼らはこの出来事を誇りに感じてくれているし、私も誇りに思う」

PJの父、パトリック・コンロン氏は試合について報道陣にこう語った。「特別なことだ。彼は記録に残り、ウィキペディアにも載る。素晴らしいことだ。ベルファスト出身の小さな少年は、いい仕事をした」。

ソーシャルメディア上でもコンロンの登板への反応が見られた。

カトリック教徒でメッツファンという「Bercik」さんは、「そして一方、今晩ニューヨーク文化の中で最もカトリック的だったことは、メッツが1909年以降はじめてのアイルランド出身選手(編注:実際には前述のクリアリーが1945年にメジャーリーグで試合に出場している。1909年とは、コンロンと同じ北アイルランド・ベルファスト出身のハリー・マキルビーンが最後に出場した年を指す)となるPJコンロンを先発させたこと、そしてコンロンの祖母が観客席で、ピオ神父のカードを持って応援したことだ」とツイートした。

https://twitter.com/bercikzkantowo/status/993733675744481280

マイク・マッカーティーさんはツイッターに、アイルランド国旗を持って応援する人やコンロンの祖母の写真を「(試合を)大いに楽しんだPJ・コンロンの応援団」という言葉を添えて投稿した。

https://twitter.com/mjm488/status/993649200473747456

日本やキューバと違い、アイルランドは「野球の国」として知られてはいない。だがコンロンのデビューで、アイルランド出身の選手はメジャーリーグが始まった1871年以降で50人近い数となった。この人数は欧州のどの国よりも多く、(編注:北中米や南米を除けば)2010年に日本に抜かれたのみだ。

スター投手の故障を受け、ラスベガスに本拠を置くメッツ傘下のマイナーリーグの野球チーム、フィフティワンズから昇格したコンロンは、既に同チームに再合流している。しかし専門家は、コンロンがメジャーリーグに戻ってくるのは間違いないとしている。

アイルランドでは、オハイオ州クリーブランド出身で、現在アイルランド野球連盟の会長を務めるトム・ケリー氏が、コンロンのデビューについて喜びつつも現実的なコメントを残した。

ケリー氏は「アイルランドで野球に取り組む少年たちは、コンロンのデビューに大喜びするだろう」と語った。その後、少し落ち込んだ様子で、「多くはMLB(メジャーリーグを運営するメジャーリーグベースボール機構)にかかっている。彼らの欧州拠点はロンドンで、たとえば欧州におけるNBAのようなブランドを持ちたいと臨んでいる」と付け加えた。

MLBコミッショナーのロブ・マンフレッド氏は8日、2019年にロンドンでニューヨーク・ヤンキースとボストン・レッドソックスの公式戦2試合を開催することを発表した。

北アイルランド出身だが2歳の時に米国へと移住しているコンロンは、アイルランド、英国、または米国の代表選手への選出資格を持つ。野球はアイルランド26州と北アイルランド6州、計32州の全てで行われているが、それでもケリー氏はコンロンが世界ランキングでアイルランドより上位の英国代表としてプレーすることを恐れており、コンロンに国際試合でアイルランド代表となるよう説得するつもりだという。

ケリー氏はコンロンがアイルランドでトレーニングキャンプを主催するのを歓迎するつもりだが、MLBがコンロンの「英国」代表選手としての潜在的な可能性にもっと大きな利益をみているのではと恐れる。

野球に関するデータを収集するウェブサイトとして名高い「baseball-reference.com」によると、これまでにメジャーリーグで47人のアイルランド出身選手がプレーしてきた。

アイルランド生まれの選手を全て合算すれば49という数字になるはずだが、コンロンと「アイルランド人」マキルビーンは英国人選手と記録されている。アイルランドが南北に分かれる前に生まれ、アイルランド出身とカウントされている選手の何人かは、現在の北アイルランドが出生地なのにもかかわらずだ。アイルランド系の苗字を持つが、出生地が記録されていない多くの選手を含めれば、この数字はもっと大きくなる可能性もある。

実際、第一次世界大戦までの野球の成長におけるアイルランドの影響は、どれだけ誇張してもし過ぎることはないのだ。

アーネスト・セイヤーの「打席でのケイシー」という詩は、アイルランド人の飽くなき野球への情熱を明らかにする大衆文化の一例だ。また、今も試合でいつも観客に歌われている、ジャック・ノーワース作詞の名曲「私を野球に連れてって」のかつての歌詞は、「野球狂で、熱の入れようがひどい」ケイティ・ケイシーという少女についてのものだった。

アイルランド人は特に野球に適しているとみられていた。有名な野球ライターのOP・ケイラーは、1892年9月25日付ニューヨーク・ヘラルド紙の記事でこう結論付けた。「アイルランド人が国民性として野球に対する特有の才能を持っていることは、野球がプロ競技になって以来、ダイヤモンド(編注:野球の試合場)の全てのポジションで最高のプレーヤーをアイルランド人が独占し、給料として支払われた膨大なお金を運び去ってきた事実が全て示している」。

野球とアイルランド人は、他に類を見ない米国的な関係性を築いてきた。他のどんなスポーツよりも、野球が多くのアイルランド人男性の米国生活への同化の鍵だった。元メジャーリーガーでナショナル・リーグの会長も務めたジョン・キンリー・テナーは1916年、「貧しい人、裕福な人、あらゆる社会階層の人にとって(中略)野球場はみんなで一緒にこの魅力的なスポーツを完璧に楽しむための唯一の場所だ」と話している。

英国へのかつての野球「伝道」興行はベルファストやダブリンにも立ち寄ったが、野球はアイルランドで流行するに至らなかった。米フィラデルフィアで毎週発行されていたスポーツ紙「Sporting Life」は1906年の記事で、「アイルランドの青年たちが、アヒルが水に飛び込むように野球場を訪れた事実を見ると、野球がアイルランドにその足がかりを残せなかったのは非常に奇妙だ」と疑問視している。

アイルランド出身のメジャーリーガーはしかし、アンディ・レオナードが1871年5月にワシントン・オリンピックスでデビューして以降、あまり成功してこなかった。

誰も野球殿堂入りできておらず、ジョージ・H・Wブッシュ元米大統領の後押しで2001年に一度だけ、パッツィー・ドノバンが殿堂入り候補者となったのみだ。

アイルランド人は監督業でのみ注目されている。これまでMLBに8人のアイルランド人監督が誕生した。カナダ人やキューバ人の監督は、それぞれ7人ずつしかいない。

他のアイルランド出身の野球関係者では、北アイルランド・ティローン出身のテナーが、1913年にナショナル・リーグの会長に昇進した。「熱狂的」を意味する「ファナティック」を「ファン」と縮めて、熱狂的な野球の応援者を描写し、もしかすると世界のスポーツ辞書に最大の影響をもたらしたかもしれないクレア州出身のティム・サリバンもいる。

我々が知るアイルランド出身のメジャーリーガーは全員、コンロンのように幼い子供の頃アメリカに移り住んだ。 そして、コンロンのように飛行機旅行の世代はアイルランドに戻ることが可能だが、残念なことにそれ以前の人々は、わずかしか再び祖国を訪れることがかなわなかった。全員が生まれた土地から移り住んだ米国で生涯を閉じている。

パトリック・レッドモンド氏は作家。著書に「アイルランド人と米国スポーツの成立 1835年から1920年」がある

(英語記事 PJ Conlon: Dream debut revives Irish role in baseball history

提供元:https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-44105420

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