定年バックパッカー海外放浪記

2018年5月27日

»著者プロフィール
閉じる

高野凌 (たかの りょう)

定年バックパッカー

1953年生まれの62歳。横浜生まれ、神奈川県出身。大学卒業後は商社、メーカー勤務を経て2013年定年退職。2014年春から海外放浪生活を始める。放浪歴は地中海、韓国、インドシナ半島、インドネシア、サンチアゴ巡礼など。サラリーマン時代は主として海外業務に従事。ニューヨーク、テヘラン、北京にて海外駐在を経験。身長170センチ、57キロ。獅子座。A型。現在2人のご子息は独立し、夫人との2人暮らし。孫1人。

(2017.2.25~4.26 61日間 総費用13万2000円〈航空券含む〉)

ポカラのゲストハウスで沈没

峠からポカラ湖を望む

 3月25日。前日ネパールのポカラに到着。湖畔のゲストハウス、一泊250円の個室。裏窓しかない部屋であるが結構清潔。家族経営で少女が朝お茶を持ってきてくれた。。

 湖を一望するテラスのテーブルにパソコンを置いてネット。午前中は洗濯をして午後からはビールタイム。昼寝してから湖畔を散歩して、夕方からはゲストハウスの屋上で夕焼けに染まる湖面を眺めながらネパールウィスキーという流れ。

 まったく非生産的な時間を過ごすというバックパッカーの王道。終日ダラダラと沈没した一日であった。

ポカラ湖畔のパラグライダーの着陸地点。パラグライダーが着陸すると小さな子供たちが、パラグライダーを折りたたんでお小遣い稼ぎをしている

スロベニアの鳥人

 3月26日。宿の近くのベーカリーで朝食。110円でチーズクロワッサンとチャイ。相席したスロベニア人53歳はポカラでパラグライダーのパイロットとして観光客を載せてタンデムで一緒に飛んで稼いでいる御仁。

 ポカラはパラグライダーのメッカで世界中から観光客が来るのでパラグライダーのパイロット(資格あるなしに限らず、とにかく客と一緒に飛べる技量のある現地および外人)が300人もおり、業者も60社を超える由。

 彼はスロベニアから170キロ離れたイタリアまで往復6時間半のロングフライト記録保持者だ。今年中にフライト時間は1000時間を超えるとのこと。

 28歳でマーケティングリサーチ会社を立ち上げ20年以上経営してきたが、結局大手に負けて撤退。過去数年は世界中のパラグライダーの聖地をまわりパイロットとして稼いでいるという。

 最初は途上国で自分の趣味を生かして稼いで気楽に暮らしている欧米人の典型のような印象を受けた。しかし彼はパラグライダーの熟練パイロットとしての技術を地元の少年達に伝授しているという。

峠のコーヒーショップ、階下はゲストハウスになっている

 産業のない途上国で観光リゾートのアトラクションとしてパラグライダーをひとつの産業まで育成したのは彼のような外国人パイロットであったのだと気づいた。

 外国人パイロットの技術を現地の少年達が学んで多くの現地人パイロットが育ったのである。そしてパラグライダーで空中散歩を楽しむ外国人観光客が増えてくると送迎サービスや旅行代理店など周辺サービス業も繁盛するようになった。スロベニアの御仁も立派に国際貢献していたのである。

峠のコーヒーショップの邦人オーナー

 3月26日。朝食後に日本のさる仏教団体がポカラ湖畔の東の山の上に建設したパゴダ(仏塔)まで登った。途中の峠の茶屋で日本語の看板があったので、山頂のパゴダを参観した後で立ち寄ってみた。ネパール産のコーヒー豆を丁寧に焙煎したコーヒーをまったりと味わった。

 しばしKさんというオーナーとおしゃべり。彼はネパールで暮らしたくて日本でパラグライダーのパイロット資格をとり、過去10年近くパラグライダーのパイロットとして稼いできたという。しかし業者が乱立して料金体系が滅茶苦茶になってきたこと、さらに来年には国際空港が開港するのでポカラ周辺でのパラグライダー飛行が禁止されるので半年前にコーヒーショップの経営を始めた。

 ネパールのコーヒー栽培は歴史が浅いが、有機栽培で品質が良いので日本のコーヒーメーカーとも契約しているという。コーヒー文化の普及とコーヒー栽培の拡大を手伝うことで地場経済に貢献したいと自然体で語ってくれた。

ベンガル平野に出るとローカルバスは超満員定員オーバーで走っている

Kさんがネパールに辿り着くまで

 Kさんは世界的に有名な日本の大手スポーツ用品メーカーのチームに所属していたアスリートであった。20代後半になり競技人生のピークを過ぎた頃、テクニカルアドバイザーとして正社員として働かないかオファーを受けた。Kさんはサラリーマンとして生きてゆく人生に飽き足らないものを感じた。

 正社員のオファーを断ったKさんはそのまま世界放浪の旅に出た。インドからネパールに流れてきたKさんはネパールに魅せられた。一生ネパールで暮らして、この国に何か貢献したいと心に決めた。

 先ずはネパールで暮らしてゆく基盤を固めるため当時ポカラ観光のアトラクションとしてスタートしたばかりのパラグライダーに着目。日本に帰国してパイロット資格を取得したという経緯であった。

ダルバール広場の一角では何かご利益があるらしく人々が群がっていた

Kさんの夢はネパールの子供たちの未来

 Kさんのコーヒーショップは峠の見晴らしの良い高台にある。コーヒーショップの階下には十数室の客室がありゲストハウスを経営している。ネパールでは中学校・高校は有償であり貧しい農家では学費が賄えない。Kさんは近隣の貧困家庭の少年達をゲストハウスの空いている部屋に住まわせて、朝晩はコーヒーショップやゲストハウスの手伝いをさせて、昼間は学校に通わせている。

世界遺産のダージリン・トイ・トレイン。毎日ハンマーでこんこん叩いて蒸気機関車を整備していた

 Kさんは子供たちがコーヒーのバリスタやゲストハウスのマネージャーとして生きてゆけるように教えている。「彼らを育てることがネパールへの恩返しです」とKさんは結んだ。

関連記事

新着記事

»もっと見る