あの負けがあってこそ

2018年6月1日

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 山城の突きは衝撃的だった。それまで何人ものチャンピオンクラスのパンチを受けてきた菊野でさえ、「そんな次元の衝撃じゃない」というほど威力のあるものだった。

 「嘘みたいな話ですが、ポンッと軽い突きなのに交通事故みたいな衝撃を受けました。それも空手の型を学ぶことによってそれを養えると聞いてさらに驚きました」

(撮影:筆者)

 その突きを解説してもらうと

 「世の中の9割の空手が西洋化して競技化しています。その突きは地面を蹴って腰をひねって打つのですが、昔のままの沖縄空手は腰をひねらず地面も蹴りません。手先だけを動かして全身が引っ張られるような感覚です。通常の空手とは真逆の理論なのです」

 型の稽古によって養う伝統的な空手を菊野は先人たちの知恵の集積と言う。

 「西洋的なパワーとスピードで勝負するものではありません。見た目に地味なので効くようには見えないのですが、これが効くんですよ。一発受けてみませんか?」と菊野は笑い、筆者は軽く胸に一発もらった。確かにモーションのない軽い動きだったはずなのに、ズドンと身体の芯に入ってくるような衝撃だった。

テコンドーで東京五輪を目指す

 菊野はメンタル面がブレーキとなって本来持っていたこの威力を発揮できず、本稿冒頭で紹介した2連敗に繋がったのである。

 どん底を乗り越えた菊野は武道精神を追求する一方、次の人生に歩み出したいと思っている自分もいると言う。

 「誰かに勝ちたいという欲求はかなり落ち着いて、今度はどんなフィールドで戦おうかなとか、どんなふうに生きようかなと考えています。また、子どもの頃からの夢はヒーローになることでしたので、これからどんなヒーローを目指そうかなと考えています」

 そこへ、思わぬことから縁が生まれテコンドーの第一人者であり、本コラムでも取り上げたことのある岡本依子さん(一般社団法人全日本テコンドー協会の副会長)から、「テコンドーの試合に出えへんか」と誘われた。

 顔面へのパンチ攻撃は反則で蹴り技にも制限のあるテコンドーのルールは菊野にとって不利でしかない。しかし、沖縄空手の突きはプロテクター越しにも十分ダメージを与えることができるはずだと判断し快諾した。

 「一言で言ってしまえば、面白いということです。これからの人生は相手に勝ちたいというより、チャレンジするのが楽しいと思えることをしていきたい。テコンドーへの誘いは2020年の東京オリンピックへのチャレンジですから、これほどのチャレンジはありません。僕が現役で一番脂の乗った時期にチャレンジする機会をもらえたわけですから、どれだけ幸運なことか。やらない手はないだろうと決断しました」

 オリンピックの開催国枠として男子4階級のうち2枠が用意されている。その2枠を懸け熾烈な争いが2019年に掛けて繰り広げられる。

 すでに菊野は今年の1月に行われた「全日本テコンドー選手権」の80kg級に出場し準優勝を果たしている。

 「今までオリンピックとは無縁の人生だと思っていたのに、オリンピックへ挑戦しますといえば周囲の反応が違いますし、影響力が全く違うんです」

 「テコンドーの選手に足技で勝てるわけがありません。だから、彼らにはない、僕だけが持っている武器で戦おうと思っています。このチャレンジは全力で取りに行きます」

 新たなチャレンジはテコンドーに留まらない。

 菊野の自主興行で本年11月に鹿児島で格闘技のイベントを開催することが決まっている。武道の精神を格闘技とコーチングを合わせて伝えていくようなイベントにしたいと準備に余念がない。

 「鹿児島で成功させられれば武道精神を伝える場としての格闘技イベントを増やしていくことができます。西郷(隆盛)さんのように私欲のない人にはなれませんが『敬天愛人』を掲げていこうと思っています」

  
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