使えない上司・使えない部下

2018年6月12日

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吉田典史 (よしだ・のりふみ)

ジャーナリスト・記者・ライター

ジャーナリスト。1967年、岐阜県大垣市生まれ。2006 年から、フリー。
主に、人事・労務分野で取材・執筆・編集を続ける。『悶える職場』(光文社)、
震災死』『あの日、「負け組社員」になった…―他人事ではない“会社の落とし穴”の避け方・埋め方・逃れ方』(ダイヤモンド社)『封印された震災死』(世界文化社)など。

 私が(1994年に)プロデビューし、プロレスラーとして立派な体(最盛期、175センチ、95キロ)になることができたのも、京子さんのおかげです。まだ60キロだったころ、「美佐恵は大きくなったら、もっと強くなれる」と毎晩、食事に誘ってくれました。食事代を全額払っていただいて…。あと、お酒代も…。私の体は、あの方のお金で出来上がったようなものです。3カ月で15キロ太った時期もありました。

 ほかの先輩には厳しい方もいましたね。いじめ…? うーん、どうかな…。まぁ、理不尽な思いは何度もしました。ほとんどの選手は練習生を人間扱いしないから、いじめはしません。「(練習中などに)笑ってはいけない、水を飲んではいけない。(練習中や試合会場などで)歩いてはいけない」と叩き込まれるんです。

 デビューしてからですよ、先輩が厳しくなるのは。特に始めの3年間かな。女のねちっこさ+物理的な力のしごき…ハハハ。この3年を耐えると、先輩が試合で技を受けてくれるようになるんです。実際にこの世界に入るとわかるんですが、プロってすごいんですよ。高校の頃にテレビを観ていて、こんな選手には負けないと思ったことがあります。いざ、目の前で練習や試合を観ると、選ばれた人なんだな、とつくづく思いました。体もスピードも、受け身も、何もかもが違うんです。

何が何でも強くなり、上がりたかった。ただ、強くなりたかった

 始めの3年間の頃で印象に残っていることで言えば、ある先輩が試合でリングに上がるとき、男のファンからもみくちゃにされ、ひどいことになったんです。私はセコンドにいて、ガードをしないといけない。だけど、できなかった。すごい数のお客さんが押し寄せて…。試合後、控室で先輩からバシッと顔を平手打ちされました。口ごたえ? そんなのできるわけないですよ。言い返したら、全員の先輩を敵に回します。殴られるときも、顔をふせたり、よけてはいけないんです。あの頃の女子プロって、それが当たり前。先輩が私の足を踏んでも、謝ることはしません。踏まれた私に問題があるんです。

 私は不満を感じたことがないし、辞めたいとも思わなかった。入りたくて仕方がなかったプロレスの世界にいるだけで、うれしかった。高校を卒業し、工場に勤務していた時期があります。その頃、テレビ番組「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」(日本テレビ)の女子プロ予備校で山本小鉄さん(当時、新日本プロレスコーチ)から鍛えられ、全日本女子プロレスの練習生になり、プロに合格したんです。

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