幕末の若きサムライが見た中国

2018年7月10日

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樋泉克夫 (ひずみ・かつお)

愛知県立大学名誉教授

中央大学法学部、香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士後期課程を経て外務省専門調査員として在タイ日本国大使館勤務。著書に『華僑コネクション』『京劇と中国人』『華僑烈々―大中華圏を動かす覇者たち―』(以上、新潮社刊)など。

[著書]

上海での見聞により固められた信念

 長崎に向けて上海を出港する直前、日比野は上海を管轄する道台の役所に別れの挨拶に向かう一行に加わった。道台から茶菓の接待を受けながら「左右ヲ熟視スルニ、脚服ヲ竿ニ穿チ或ハ襪ヲ岩上ニカク。實ニ不敬ト云フベシ」。庭の設えは誠に立派とはいうものの、小汚い洗濯物を役所の庭に正々堂々と干すなど見苦しい限り。だが、それを道台は黙認したまま。まさに綱紀弛緩の極みである。こんな点からも、日比野は清国の黄昏を実感したに違いない。

 宿舎に戻る道すがらも、相変わらずの人だかりである。やがて上海で知り合った友人知己が別れの挨拶にやってきた。ある者は「別ヲ告ゲテ云フ、萬里ノ別離、實ニ両袖ヲウルホス。來春必ズ崎陽ニ遊ビ再會スベシト云フ」。日比野に「勇義」を説いた将軍の華翼綸も別れを告げに来た。やがて日比野の乗船時間が迫る。

 「皆余ノ乘船スルヲ待ツテ(宿舎の)門前マデ送リ、別ヲ惜シンデ愁傷ス。ソノ厚情實ニ竹馬ノ友ニマサル。時既ニ當午、杉板ニ乘ツテ千歳丸ニ移ル。蓋シ清國ニアソブ纔ニ三月ニシテ、再遊スル難ケレバ遺憾スクナカラズ。岸畔ヲ看レバ波風拂々涼味溢ルゝモ、船室ニ至レバ炎熱ツヨク夜眠ルヲエズ」。

 短期間の上海滞在だったが、2度と来ることはないだろう。上海での日々を思い浮かべながら岸壁の方向を見詰める日比野の目は、あるいは涙に濡れていたのだろうか。

 長崎帰着。上海の濁り切ったそれではなく、清浄極まりない故国の水に、しみじみと感謝するも、眼は落ち窪み土気色になった顔を鏡に写し「愕然タリ」。

 この時から6年後、日本は明治に改元され立憲君主制の近代国家への道を歩み出す。一方の清国は崩壊への坂を転げ落ちはじめた。

 長崎での帰国第一夜。食事を終えて「窓ニヨレバ、燈火マタ山ヲ焼クゴトシ。ソノ景佳ナリ」。折から長崎では、祖先供養の日々が続いていた。暗い夜空に、祖先を祭る灯が赤々と映えていたのだ。日比野の目と心に、祖国の美しさがいっそう深く染みたことだろう。「ソノ景佳ナリ」の6文字から万感の思いが伝わってくる。

 千歳丸での日々を綴った『贅肬録』は、「(七月)十六日 晴 郷書ヲシタゝメ着船ヲ告ゲテ心快然タリ」の一行で終わっている。安着の知らせを故郷に届け安心したのだろう。

 やがて「眼孔穴ヲナシ頤トガリ面色土ノ」ような面容も旧に復し「西土ノ辛勞」も癒え、気力も体力も回復する。3ヶ月ほどが過ぎた後、上海で交友を重ねた数十人との筆談を中心に『没鼻筆語』を著すが、そのなかで日比野は「貴邦ではどんな神を敬うのか」との質問に答えた時を思い出しながら、「我が国は万世一系であるがゆえに、万国に冠たるのだ。生民は悉く天照皇太神の恩徳に浴するがゆえに、最も篤く敬うのである」と応えたと記した。

 ――徳川は「天下」を失いつつある。上海での見聞と体験によって、日比野における「我國萬世一統。所以冠萬國也」との信念はいよいよ固まったというのか。

  
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