個人美術館ものがたり

2011年5月16日

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赤瀬川原平 (あかせがわ・げんぺい)

画家、作家

1937年、神奈川県生まれ。60年代にネオ・ダダイズムなど前衛芸術運動に参加。80年「尾辻克彦」名の『父が消えた』で芥川賞を受賞。『散歩の学校』『昭和の玉手箱』『千利休 無言の前衛』など著書多数。

絵の話を始めると止まらなかったという創設者がつくったのは、
もともと人が住んでいた山の中腹の建物を改築した五階建ての美術館。一つ一つは小ぶりでも、展示室はいくつも続くので、たっぷりと時間をとって訪れてください。

  桐生はかつて織物で栄えた町だ。その町並を外れた水道山の斜面に、この美術館がある。といってもその姿はまず見えない。正面から見た入口はバスの停留所くらいの感じのもので、それがハイキングコースのような山道の脇に、ひっそりとある。入口の渋い看板で美術館とわかるが、半信半疑だ。

入口が5階。ここを最上階に5層の建物が建つ


  中に入ると展示室があり、でも美術館としては天井の高さもふつうで、室内は小ぶりだ。展示作品も小品が多い。これは個人美術館の特徴だが、その小ぶりな展示室がつぎつぎと、階段を降りながらつづく感じは、何だろうか。

 この空間、じつは昔、ある会社の社員寮だったという。なるほど。それで腑に落ちた。この展示空間の連続する感じは、正にその集合住宅なのだ。そういう物件を美術館に改築したものだという。うまい使い方だと思う。それはしかし単に再利用というだけでなく、創立者があえてそうした、という面もあるらしい。つまり芸術作品をあまり仰々しい形ではなく、生活空間に近い中で見て欲しいという思いがあったのだ。

細かく仕切られた展示室。窓のある美術館の展示室はめずらしい


  創立者の大川栄二氏は、主として三井物産、そしてダイエーで働いていた。その前の若い戦時中は使命感に燃えて、船舶特攻隊に志願している。でも出撃直前に特攻艇が敵機の爆撃で破壊され、間もなく終戦。戦後は闇商売が幅をきかす世の中で、大川氏はそこを泳ぎながら株式投資にも到達。絵画購入の資金の多くはそこで得ていると、晩年には告白している。

 そのパワフルな人生も凄いが、絵を集めることになったきっかけには、実感がこもる。

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