ベストセラーで読むアメリカ

2018年7月12日

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調査報道を大切にするアメリカの新聞社

 なお、前述の通り、主要メディアのなかで最初に大きくセラノスのことを好意的に取り上げたのはウォール紙そのものだった。最初の記事は論説委員会が扱ったものとはいえ、同じ新聞の別の記者がセラノスの虚構を暴く記事を書くことにウォール紙の社内では何も問題はなかったのだろうか。本書の筆者は次のように書き、その疑問に答えてくれている。

 I thought: my newspaper had played a role in Holmes's meteoric rise by being the first mainstream media organization to publicize her supposed achievements. It made for an awkward situation, but I wasn’t too worried about it. There was a firewall between the Journal’s editorial and newsroom staffs. If it turned out that I found some skeletons in Holmes’s closet, it wouldn’t be the first time the two sides of the paper had contradicted each other.

 「わたしは考えた。自分の新聞は、主要メディアのなかで最初にエリザベスの偉業を報じ、彼女を一気にスターダムにおしあげるのに一役買った。やっかいな状況ではあったが、わたしはその点について悩まなかった、ウォールストリート・ジャーナルの論説委員会と報道記者の間にはファイアーウォールがある。もし、自分がエリザベスのクローゼットのなかで骸骨を発見したとしても、ウォール紙の論説委員会と報道記者の見解が相違するのは初めてのことではない」

 つまり、調査報道に従事するニュース記者の独立性が守られているわけだ。実際、不幸にしてセラノスを好意的に最初に報じたウォール紙が、手のひらを返して批判記事を掲載した事実が、調査報道を大切にするアメリカの新聞社の姿勢を如実に物語る。

 そしてもうひとつ、報道の独立性めぐるエピソードを本書は明かす。ウォールストリート・ジャーナルの親会社ニューズ・コーポレーションを率いるルパート・マードックも実は、セラノスに対し個人で100億円を超える出資をしていたのだ。本書の筆者がちょうど取材を進めている最中にセラノスは新たな資金調達を進めており、知人から紹介されてエリザベスと知り合ったマードックは何も調べずにセラノスの株式を購入したのだ。

 ウォール紙の記者はマードック個人がセラノスに出資したことを知らなかった。しかも、エリザベスはマードックに何回か接触し、ウォール紙に調査報道の記事が出ないようにしてくれと頼んだ。しかし、マードックは報道には介入しないと繰り返し答えたという。メディア王として毀誉褒貶のあるマードックだが、報道の独立性を守るその姿勢には感銘した。

 さて、ウォール紙の報道をきっかけに、凋落の道をたどったセラノスの株式をマードックはどう処分したのか。エリザベスらを相手取り訴訟を起こす投資家が多くいたなか、マードックの対応は一味違った。

 One notable exception was Rupert Murdoch. The media mogul sold his stock back to Theranos for one dollar so he could claim a big tax write-off on his other earnings. With a fortune estimated at $12 billion, Murdoch could afford to lose more than $100 million on a bad investment.

 「注目すべき例外のひとつがルパート・マードックだった。メディア王は持ち株をセラノスに1ドルで売却することで、多額の損失を税務上の損金として他の収入と相殺できた。個人資産が推定で120億ドルにのぼるマードックだからこそ、1億ドルを超える投資損失にびくともしないのだった」

 シリコンバレー神話の危うさと、アメリカのジャーナリズムの健在ぶりを示す好著である。スタートアップ投資に熱をあげる日本の経営者にはぜひ読んでほしい。
 

  
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