幕末の若きサムライが見た中国

2018年8月3日

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樋泉克夫 (ひずみ・かつお)

愛知県立大学名誉教授

中央大学法学部、香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士後期課程を経て外務省専門調査員として在タイ日本国大使館勤務。著書に『華僑コネクション』『京劇と中国人』『華僑烈々―大中華圏を動かす覇者たち―』(以上、新潮社刊)など。

[著書]

「水」のイメージに対する日中の違い

 話は前後するが、「五月五日、天晴、風順、船馳如矢、忽至洋子江(揚子江)」。「船は矢の如く馳せ、忽ちにして洋子江(揚子江)に至る」といった記述からは、高杉の胸の高鳴りが聞こえて来るようだ。かくて「甞て支那人と英人との戦のち」であり、「長髪賊」つまり太平天国軍と「支那人とが戦」う上海港での投錨となった。かくて「六月六日、雨、朝解纜」までの間、高杉は思う存分に上海探索を続けることとなる。

 千歳丸が投錨した長江の支流も「川流濁水」だった。イギリス人がいうには、停泊中の数千の外国船も清国人も共に川の濁った水を飲んでいるとのこと。日本人は上海に来たばかりで気象に慣れないうえに、朝晩こんな水を飲んだら「必多可傷人(必ず多くの人を傷める可し)」と危惧した。はたせるかな、川の濁水のため同行者の多くが病床に臥し、なかには命を落とした者もいた。それにしても明礬をブチ込んで濁りを沈殿させた川の水を飲んでもなんともない清国人からすれば、日本人とはヤワな民族に思えたことだろう。反対に山紫水明の国からやってきた神州高潔な高杉らからすれば、清国人の肉体は頑丈至極に思えたことだろう。

中国重慶(iStock / Getty Images Plus / gyn9038)

 日本人にとって「水」は清浄であって当たり前。ところが中国では「水」は濁っているもの。同じ文字で表しはするが、水に対するイメージには大きな違いがある。同じ漢字ではあるが意味する実質は違う。だが、中国文化の精華だと日本人が学んできた四書五経や『史記』以下の正史類など中国の古典には、そういうことが書かれているわけではない。中国人にとっては当たり前のことだから、態々書くことはない。そこで日本人の常識に基づいて中国人が書いた文章を読んでしまうから誤差が生まれ、やがて誤解を引き起こす。

 この違いをハッキリと意識しない(できない)ことが、「同文同種」などという根本的な間違いを日本人が受け入れ、信じ込んで(信じ込まされて)しまった大きな原因といえる。

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