2024年4月23日(火)

ベストセラーで読むアメリカ

2011年6月9日

『タイガー・マザー』 エイミー・チュア著
(齋藤孝訳 朝日出版社刊 定価1,869円)

世界16ヶ国で翻訳された話題のベストセラー『タイガーマザー』の日本語版。とびきり厳しい中国人大学教授の母親"タイガー・マザー"が、二人の娘と繰り広げる、スリリングでこころ温まる教育論

 厳しい教育のおかげで、長女はピアノで神童ぶりをみせ14歳で、ニューヨークのカーネギーホールで演奏会を開くほどになる。しかし、バイオリンの練習を毎日強要され、かなり上達したはずの次女が13歳の時に突然、母親に反旗を翻すのだ。家族でモスクワに行き、赤の広場に近い屋外カフェでキャビアを注文した時に事件は起きる。「気味が悪い」と言ってキャビアを食べようとしない次女(ルル)に、母親のチュア教授は食べるように厳しく命じた。すると、2人の間で「食べる」「食べない」で押し問答が続き、次のような修羅場が演じられた。

 “I know ―I ‘m not what you want―I’m not Chinese! I don’t want to be Chinese. Why can’t you get that through your head? I hate the violin. I HATE my life. I HATE you, and I HATE this family! I’m going to take this glass and smash it!”
  “Do it,” I dared.
  Lulu grabbed a glass from the table and threw it on the ground. Water and shards went flying, and some guests gasped. I felt all eyes upon us, a grotesque spectacle.
I’d made a career out of spurning the kind of Western parents who can’t control their kids. Now I had the most disrespectful, rude, violent, out-of-control kind of all.
  Lulu was trembling with rage, and there were tears in her eyes. “I’ll smash more if you don’t leave me alone,” she cried.
  I got up and ran. I ran as fast as I could, not knowing where I was going, a crazy forty-six-year old woman sprinting in sandals and crying. I ran past Lenin’s mausoleum and past some guards with guns who I thought might shoot me.
  Then I stopped. I had come to the end of the Red Square. There was nowhere to go. (p205-206)

 「分かってるわよ、わたしはお母さんが望むような子じゃないのよ、わたしは中国人じゃない! 中国人になんかなりたくない。どうして、そんなことも分からないの? バイオリンなんか嫌い。こんな生き方はいやだ。お母さんなんか大嫌い。家族で一緒にいるのもイヤだ! このグラスをたたき割ってやる」
  「やりなさいよ」わたしは負けないように言い返した。
  ルルはグラスをテーブルの上からつかみあげると、地面の上に投げつけた。水とガラスの破片が飛び散り、他のお客さんたちが息をのんだ。みんな私たちを見ているのを感じた。みっともないありさまだった。自分の子どもをコントロールできない欧米人の親たちを、否定することでわたしはずっと生きてきた。それなのに、よりによって、自分の娘がとても無礼で粗野、暴力的なこどもになってしまった。
  ルルは怒りで身を震わせ、目には涙があふれていた。「わたしのことをほっといてくれないと、もっとグラスを割るわよ」と、ルルは叫んだ。
  わたしはイスから立ち上がり走り出した。どこに向かっているのか分からないまま、全力疾走した。気の違った46歳の女がサンダル履きで泣きながら走ったのだ。レーニン廟のそばを走り抜け、もしかすると発砲してくるかもしれない銃をもった守衛のそばも走り抜けた。
  そして、わたしは立ち止まった。赤の広場の端っこに来ていたのだ。もう先には進めなかった。

 このロシアへの旅行からアメリカに帰った翌日に、チュア教授は本書の執筆を始めたことも本の中で明かしている。次女ルルはその後、母親が押しつけてきたバイオリンではなく、自分でやりたいと思ったテニスの練習に熱中するようになる。

 つまり、本書はアメリカで物議をかもしたのとは裏腹に、中国式スパルタ教育を手放しで礼賛するものではない。その失敗と反省の念も書き記しているのだ。子を持つ親として評者・森川は一読して非常に感動した。

 読み終えて再度、本書の最初からページを繰り始めて、目次の後の扉ページを見落としていたことに気づいて驚いた。なんと、そこに本書の本当の主題がちゃんと前もって、明示されていたのだ。

 This was supposed to be a story of how Chinese parents are better at raising kids than Western ones.But instead, it’s about a bitter clash of cultures, a fleeting taste of glory, and how I was humbled by a thirteen-year-old.

 「この本は、中国人の親たちが欧米の親たちよりも、子育てでいかに優れているかを語るはずだった。しかし、そうではなく、ほろ苦い文化の衝突や、つかの間の栄光、わたしがいかにして13歳の娘にたたきのめされたのか――を語る本になった」


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