2024年4月25日(木)

個人美術館ものがたり

2011年6月21日

  印象派の画家たちも、好んで光を描いていて、それもまたリアルタイムの感覚で捉えたものだから、多くの人々を引きつける。

 そうだ、ゴッホはひょっとして清親の光線画を見ているのではないか。

 印象派の画家たちが浮世絵を見て影響を受けたことは有名だが、それは主に大胆な構図や、鮮やかな色彩に触発されてのことだ。広重の絵が多いと思うが、ゴッホの手許には清親の絵もあったのかもしれない。考えたらゴッホには夜景を描いた絵が意外に多く、「星月夜」となるとほとんど想像世界と見えるが、もっと描写的なもので、湖の向うの町の光が水面に映り、上空は星空という絵がある。清親の「池の端花火」の描写にも重なる。その風景を描くとき、夜の現場のゴッホは頭に何本かローソクを縛りつけて、その光で描いたという話だ。その格好を想像するに、大丈夫か、と思うほど強烈だけど、電気の技術が乏しい時代だから、そうやるしかなかったのかもしれない。

 画家が絵に描くのはほとんどが昼の光景なのはもちろんだけど、ゴッホには夜の風景画がいくつかある。それが清親の光線画に触発されてのものだったら、という想像は、ちょっと面白いのではないかと思う。

 清親はもちろん光線画だけでなく、風俗的なものや風刺画もたくさん描いている。動物や果物の絵もある。こちらは光線画ばかりを期待していたが、もちろんそれだけではなかった。

五代太田清藏氏(1893~1977年)

 このコレクションを築いた五代太田清藏〔おおたせいぞう〕氏は、かつて東邦生命の社長を務めた人だ。襲名が示す通り旧家の生れで、太田家は博多で商業を営んでいた。四代が徴兵保険(養老保険の一種。子供が小さいうちに加入すると、徴兵時などに保険金が給付されるというもの)の会社を始めて、それが戦後東邦生命となる。徴兵保険というのは今でいう学資保険のようなものらしい。

 でも五代は幼いときから絵が好きで、中学生でもうパレット会という絵画同好会に所属していた。同期には児島善三郎、先輩に和田三造〔わださんぞう〕、後輩に中村研一という空気は、画家寸前であったのだろうと想像するが、やむなく家業を継ぐことになる。でも浮世絵への関心は大学時代からあって、そのころから画商への出入りを始めていたようだ。

 その後1年に及ぶ新婚旅行で欧米を回り、当時の日本ではかなり下に見られていた浮世絵が、欧米では高く評価されていることを知る。アメリカでのシカゴ美術館訪問が大きなきっかけらしい。


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