WEDGE REPORT

2011年6月21日

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 当時の事情に詳しい関係者は「(事業者責任を)有限にすると、原発はリスクがあると認めたも同然。無限責任にして『事故は起こらない』との前提にする必要があった」と語る。この考え方は、曖昧な法を放置してきた事業者にも通底しており、「原発は安全との前提のもとでは、法改正を口に出せなかった」(電力会社幹部)と、絶対安全神話が法律面でも関係者を思考停止に追い込んでいたことがわかる。

 法が捻じ曲げられた背景には、原子力の平和利用を進めてきた政府が、原発は絶対安全というレトリックのもとで責任回避をしてきたことがある。実際に神話が崩れた今、答申の趣旨に立ち返ることが出発点となろう。

 政府の姿勢が問われる第3の視点は、国と民間が二人三脚で原子力発電を進めてきた経緯だ。自民党政権下、1957年に官民出資で日本原子力発電社が発足して日本の原発事業がスタート。石油危機時に「脱石油3本柱」として原子力発電を位置づけたのも、2005年の原子力政策大綱で「30年以後、総発電電力量の30~40%程度以上を原子力発電」と定めたのも、時の政権だ。民主党政権も10年に閣議決定したエネルギー基本計画で原子力発電の推進を明記している。ここに来て、ほっかむりを決め込むのは許されない。

 もちろん東電の責任は重く、相当な負担は免れまい。しかし、以上3点から見ても、国が逃げ回るのはおかしい。現スキームが招来するのは、民間企業の体をなさない東電が資金調達や人材確保の困難に直面し、電力の安定供給に不安をきたすという現実だ。他の電力会社も同等のリスクを抱えるとみなされるのが当然だから、ことは東電だけにとどまらない。政府は、東電の負担に上限を設けて電力安定供給の責務を厳しく担わせるとともに、残りの金銭的負担は自らの責任として背負うべきだ。そして、今後、このような押しつけあいが生じないよう、答申の趣旨に基づいて原賠法を改正すべきだ。

 なお前述のとおり、東電を法的整理せよとか、発送電分離を進めよという議論がある。これについてJPモルガンの北野一・チーフストラテジストは「原賠法は原子力事業の健全な発達を目的として掲げている。第16条を率直に読めば、原子力事業者である東京電力の存続は前提となっているはずだ」と言う。発送電分離論についても、「賠償スキームに絡め、賠償金の捻出という意図をもって、拙速に発送電分離を議論するのは間違っている」(橘川武郎・一橋大学教授)と、電力供給体制のあり方はまったく別の検討課題であると説明する。真っ当な見方だろう。

 国が原発を動かすべしと言う以上、賠償でも自らの責任を示すことが不可欠だ。このままでは諸外国からも、そしていずれは国民からも、「この国は厳しいことから逃げるのか」と見られ、信頼を失うだろう。問われているのは、国家としての矜持である。


※本記事は、「WEDGE」2011年7月号掲載の記事に一部加筆をしたものです。

 「WEDGE7月号」特集「それでも原発 動かすしかない」では、他に以下の記事が読めます。
◎来春にはすべての原発が止まる
◎日本経済のダメージはどこまで
◎国が前面に立てば動かせる
◎発送電分離より大規模化を(澤 昭裕/21世紀政策研究所・研究主幹)

◆WEDGE2011年7月号より

 

 

 

 


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