明治の反知性主義が見た中国

2018年9月14日

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樋泉克夫 (ひずみ・かつお)

愛知県立大学名誉教授

中央大学法学部、香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士後期課程を経て外務省専門調査員として在タイ日本国大使館勤務。著書に『華僑コネクション』『京劇と中国人』『華僑烈々―大中華圏を動かす覇者たち―』(以上、新潮社刊)など。

[著書]

日本人が中国でビジネスチャンスを生かせないワケ

 安東は天然資源超大国で「大商業國なる支那を一葦帶水の西隣に擁して、商業、航海及び技術を以て東洋に雄飛せんとする、日東海國民の覺悟ハ、夫れ果して如何」と、清国との貿易を盛んにすべきと説く。だが実態は余り芳しくはない。

 たとえば天津は「支那の一大貿易港なれども、我商民の在留する者極めて少なく、日本人の直接に從事する商業ハ微々として振はず」。外国人居留民は300人以上。ドイツとイギリスほぼ同数で総計260人前後。ロシア人は15人ほど、フランス人が5人ほどで日本人は40人前後。だが「其中官吏を除き、其餘は多く洋人又は支那人の外妾にして、眞に商業家といふべきは幾許もあることなし」。

 ところで同じ時期の上海在住日本人の実態を安東は、800人に届かない日本人の「大半は賤業の淫婦にあらざれバ、無識の無頼漢」だとする。「無識の無頼漢」というが、おそらく女衒であり、ヒモだろう。ということは日本人の海外進出の先陣を切ったのは、天津の「洋人又は支那人の外妾」であり上海の「賤業の淫婦」だったのか。

 天津における日本企業だが、「是まで我國人の商店を天津に開きて失敗せし重なるものを擧ぐれバ、東亞洋行、大倉組、久次米商社等にて其他は屈指するに暇あらず」。ということは、明治中期までの日本企業の天津進出は余り捗々しくはなかったことになる。なぜビジネスチャンスを生かせなかったのか。天津は「商業上の組織已に整頓し、取引は一に信用に在るを以て老舗に非されバ世人之を顧みるもの無し」。つまり老舗が互いに信用で結ばれて居て、新参者、しかも外国人の新参者は容易に彼らのネットワークに食い込めないからだった。

 こういったビジネス環境であるにもかかわらず、「我國人は新に來つて利益を搏取せんとし、一時に目的を達する能はざれバ忽ち失望し、而して出張員は氣候の激烈なるに苦しんで急に日本に歸らんとし、營業の維持すべからざるを報告し、遂に閉店を爲すに至る」。そのうえ、「多く出張員と本店との意見、相背馳するに基くものヽ如し」。だから「北支那に於て商業を營まんとすれば、資本主又は會社の重なる役員が先づ己の信用する番頭を伴ふて渡來し、自ら實地の事情を見聞し、然る後、日本に歸り、此地に残せし番頭と氣脈を通じ商機を誤まらざるにありと」。

 どうやら日本企業にとって中国ビジネス実態は、明治時代も21世紀初頭の現在も大差ないらしい。

127年前に「中国の脅威」を予見した明治の若者

「歐洲の識者」の著作と思われる『亞細亞大勢論』を援用する形で、自らが目にした清国商人の生態について、安東は次のように見做した。

――商売における用意周到さにおいてはユダヤ人を除いたら、世界に彼らほどの力を持っている者はいない。目下、清国では製造業は未発達だが、全国各地に工場を建設し驚くほど人件費の安い労働者を雇用したなら、ヨーロッパの富は最終的には根こそぎ掠め取られてしまうだろう。

 清国とヨーロッパの貿易を見ると、ヨーロッパが圧倒されているのが実態だ。ヨーロッパから輸送された商品が清国の港に陸揚げされて後、その全ては清国商人の手に委ねられる。それゆえ儲けの幅や分配に関しては、彼らの思うがまま。老獪極まりない商法で知られるイギリス人でさえ一歩譲り、彼らの歓心を買うことに汲々としているありさまである。

 さすがにロシア人だけは長い国境を接するだけに、清国の人情風俗を徹底研究し、準備怠ることなく実力を蓄え南下を進めている。清国にとって最も警戒すべきところだ。

 貿易を専門とする清国商人を観察するに、突発事態にも臨機応変に対応する点が指摘できる。そんな時にも顔色一つ変えるわけでもなく、敢えて儲けは二の次、三の次のように振る舞う。外国商人は彼らの腹の底の底を探り、真意を読み切ることは容易ではない。であればこそウソ八百を並べたてる外国商人であったとしても、商戦において彼らを圧倒することは極めて難しい。ともかく彼らの間では情報の交換と共有が徹底し、相互に助け合い、売買は活発化し、外国商人を押さえ、貿易を独占し、かくして富国の道を歩むことは間違いないだろう。

 目下のところ、清国の制度や法令は腐敗の極に達してはいるが、その実力は確固としている。だから有能な指導者が決起し清国全土に眠る天然資源を活用し、政治的・社会的欠陥を改革し、全人民を挙げて立ち上がらせることが出来るなら、望むものは何でも手に入るだろう。そうなった時、清国は世界にとっての脅威以外のなにものでもない――

 あの時代に、どのような手段で旅行資金を工面したのか。それにしても日清戦争前夜の清国を歩いた20歳前の若者にしては、安東の考えは余りにも“老成”している。安東は清国社会に対し並外れた分析能力を備えていたのか。それとも誰か専門家の偽名だったのか。

「病痾の快癒を待て、朝鮮、西伯利亞*を經て再び北清に入り、更に見聞する所を擴め」と語る安東だが、病気から回復し「朝鮮、西伯利亞を經て再び北清に入」ったのか。その後の消息は全く不明である。

*西伯利亞…シベリア

  
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